藤田晴子

【アーカイブぷらす】ふるさとのわらべ唄 <16>最初はグー ジャンケンポン

テレビの「8時だよ!全員集合」で放映されて以後、子どもはほとんど例外なく「最初はグー」でジャンケンを始める。  昔は「ジャンケンホー」「ジャンケンホイ」「じゃんけんぽん あいごでしょ」「いんじゃんほい ちっけった」「ジャスケスもってスッチャラホイ」など、いろんな言葉でジャンケンをしていた。例えば、周防大島町平野では「ジャンケンポン」を「シャイシャイシャイ」と言っていた。  また、「お寺の和尚さんがカボチャの種をまきました 芽が出てふくらんで花が咲いたらジャンケンポン」や「ジャンケンもってすっちゃらほい…」「ジャンケンじゃくろがはちわれて…」などと、さまざまな唄にジャンケンが付いていた。

【アーカイブぷらす】ふるさとのわらべ唄 <15> かくれんぼする者

 子どもたちが「かくれんぼする者よっといで」と人を集め、教室や運動場でかくれんぼして遊んでいる。  勤め先の学校で職員に聞いてみた。山口市出身の古西哲也さんは「かくれんぼする者この指とまれ 早くしないと逃げちゃうぞ」、下関市出身の田中理恵さんは「かくれんぼする者この指とまれ 早くしないと電気が切れる きっきっ切れた ろうそく一本つけた 指切った」と歌って始めたという。「逃げちゃうぞ」「指切った」までに来ないと仲間に入れない。人集めの仕組みが巧妙である。

【アーカイブぷらす】ふるさとのわらべ唄 <14> 亥の子唄Ⅲ(沖家室)

炉開きを亥の子の日に行う風習が各地に残っている。周防大島町沖家室では今年も旧暦十月の亥の日(十一月十三日)に亥の子祭を行う。子どもが少なくなり、祭りとして行われるようになった。正月を迎える祭りといわれ、この日からこたつを出す。  沖家室には「いちぶ にぶの木」「ござったござった 亥の子様がござった」で始まる大黒舞など、いろいろな唄が歌われている。

Born This Way… そもそも、わたしたちってのは

そもそも、わたしたちってのは、どんな親でもその人を選んで生まれてくるんでね。

【アーカイブぷらす】ふるさとのわらべ唄<13>亥の子唄Ⅱ(亥の子餅をつかんもんは)

 秋のお祭りは五穀豊穣を感謝し祈るお祭りか、無病息災、子孫繁栄を祈るお祭りが多いようです。 「亥の子祭り」を全国的にみると、関西から西の地域に伝わる子孫繁栄を祈る祭りで、四国にも祭りの様子を見て取れます。 京都の和菓子屋では、猪を模し

【アーカイブぷらす】ふるさとのわらべ唄〈12〉亥の子唄Ⅰ(一で俵ふんまえて)

十月に入ると、色紙や短冊で飾った竹を担ぎ「祝い込め」と言いながら、亥(い)の子を搗(つ)いて回った。県内では多くの所で、「大黒舞」の唄が亥の子唄として歌われている。

街と会話をする。「伝わる」仕事をするということ。

 20代の頃から、なぜだか、仕事場が意外と「公」の機関とかかわることが多かったなぁ、と振り返れば。英語の授業で自己紹介とかするときに、ふと、今と昔があまりに違うため、まとめたことなかったな、と思って健忘録がてら……。 新…

仕事の話|イラスト制作、頭の中とアクション「高校野球山口大会編」

おもえば、新聞挿絵をやり始めて約20年。私を、新聞に誘った方はもうこの世にはいなかったりするのですが……、仕事は続いていくわけです。始めた当初は、そんなに長く付き合うものだと、思っていませんでした。30代になってくらいからのテーマは、制作上、いろいろな意味で、「無理をしない」。

日々雑記|父の13回忌~うちの集落話

父の13回忌から。ここのところ、実家に帰ると、何か関連して身の回りに”何かが起こる”なぁ、と。覚悟して帰ったのだが、案の定でした。

童謡|日本史上最強の“ドレミファソ”『すかんぽの咲く頃』

 山田耕筰は大正7年に東洋人初でカーネギーホールで演奏会を行い成功させた天才です。本人が音楽ができるので、子ども向けとはいえ書く伴奏(どのみち伴奏が大人……)が難しいと評判ですが……。  北原白秋は稀代の詩人です。しかも、最初は日本語の持つリズムとイントネーションにこだわるあまり、当初は、詩に五線譜メロディーをつけるのを良しと思っていませんでした。  今朝も通って またもどる すかんぽ すかんぽ 川のふち  夏が来た来た ドレミファソ ……そのまま、ドレミファソって。