父の13回忌から。ここのところ、実家に帰ると、何か関連して身の回りに”何かが起こる”なぁ、と。覚悟して帰ったのだが、案の定でした。
穀菜食
日々雑記
日々雑記|父の13回忌~うちの集落話
ART
日々雑記|絵描きの描く絵には意味がある とある女の子のお話
それであるとき、ふと思いついて私の絵を飾ってもらっていたんです。たまたま隣り合わせた、鍼灸師の紳士がその絵をじぃーっと見つめています。店主の話では、他のお客さんの中でも同じように、ときどき絵をじぃーっと眺めている人がいるんだそうです。 私が描き手だと紹介されまして、氏との話が始まりました。
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日々雑記|古民家の実家で思うこと03…樹齢47年
今まですっかり忘れていたんですが、私が生まれたときに植えられた杉の木が我が家の山にはあります。何にするって、家の建材にする用です。私の記憶が正しければ、20本か30本くらいあったように覚えているんですが。
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日々雑記|病は忘れて治るもの
この間、所要で実家に少し帰りまして。ふと、いろいろと思い出したこともあります。思えば、東京に出てきて10年くらい経つんですけど、ほとんどあったことは覚えてないんですよね、本当に。なんというか、データとしてはストックしてきたのですが、すべてが一本につながっていないような感じがします。
私が一般食を捨てたワケ
穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・14|生きるためにする、死ぬ準備
須永和尚の望診の結果は、玄米の脂肪が、まず肝臓で消化されていない、ということでした。 和尚さんのところで2年間寝かした梅干しがある、ということで、購入することにしました。須永和尚に、私の私の体調に合わせて、1週間1日二食の夏メニューを考えてもらいました。
私が一般食を捨てたワケ
穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・13|食と魂の救世主を探し出す
最初は、調子が良いと感じていた玄米食も、だんだんと栄養が吸収されなくなったな、と印象がありました。夏になると、玄米は消化しづらくなる場合があるようです。一度は柔らかくなり始めた体が、また、硬い方向に戻っているのが、自分で分かりました。 本当にあせりました。でも、途中までは食べるものを変える事で、体は良くなっていたのは事実でした。 まず、何が問題なのか……。関連書籍を横につなげる私の浅知恵では、自分の命は救えないと判断します。 「これから先は、確実に専門家の知恵が必要だな……」
私が一般食を捨てたワケ
穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・11|自分で死ぬのを許す
「あなたが自分で死ぬときには、きちんと、『なぜ、死んだ』かを知らせなさい」母が当時、私にそう言いました。 実はそのころ、実家の近所の同級生が自殺したのです。 彼の家は専業農家で、彼は家の仕事を手伝っていました。障害を持っていました。手足が硬直し歩行が困難で、顔の筋肉も麻痺え硬直しているために、言葉が明確ではありません。でも思考は正常で、素直で卑屈にはならず、いつも笑顔で純粋な印象の人でした。
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穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・09|上にかけるモノは選ぶ
まず、資料集め。それから食材探し。そして、私が食べたいなと思う食事を食べさせてくれるお店。わざわざバカみたいな遠出は体が辛くてできません。県内で、食養生でも使えそうな調味料が置いてあるところをしらみつぶしに調べました。
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穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・08|食べ物への意識を噛んで変える
意外と、振り返って大事な時というのは意外と時系列が、実際の記憶と違っているもんだな、と振り返ればしみじみと思いますね。 多分、ひどい状態で必死に動いている時というものは、インプットの情報量が基本的に多いので、おそらく脳からあふれるので良く忘れています。 ただ、逆に体が覚えていることもあります。たとえば、心臓が凍るような体験をしたときとか、きちんとダメージを明らかに見て理解しておかないと、
私が一般食を捨てたワケ
穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・07|運を天に任す
ただ、暖かくなるのを待つだけでした 乳腺炎は2年間で4回。動脈瘤は1回。頚椎は日常生活と現場で痛め続けているので、痛みを通り越し麻痺して、冷えたりすると体が固まるな、と思っていました。