穀菜食

穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・14|生きるためにする、死ぬ準備

須永和尚の望診の結果は、玄米の脂肪が、まず肝臓で消化されていない、ということでした。  和尚さんのところで2年間寝かした梅干しがある、ということで、購入することにしました。須永和尚に、私の私の体調に合わせて、1週間1日二食の夏メニューを考えてもらいました。

穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・13|食と魂の救世主を探し出す

最初は、調子が良いと感じていた玄米食も、だんだんと栄養が吸収されなくなったな、と印象がありました。夏になると、玄米は消化しづらくなる場合があるようです。一度は柔らかくなり始めた体が、また、硬い方向に戻っているのが、自分で分かりました。    本当にあせりました。でも、途中までは食べるものを変える事で、体は良くなっていたのは事実でした。  まず、何が問題なのか……。関連書籍を横につなげる私の浅知恵では、自分の命は救えないと判断します。   「これから先は、確実に専門家の知恵が必要だな……」

穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・11|自分で死ぬのを許す

「あなたが自分で死ぬときには、きちんと、『なぜ、死んだ』かを知らせなさい」母が当時、私にそう言いました。 実はそのころ、実家の近所の同級生が自殺したのです。 彼の家は専業農家で、彼は家の仕事を手伝っていました。障害を持っていました。手足が硬直し歩行が困難で、顔の筋肉も麻痺え硬直しているために、言葉が明確ではありません。でも思考は正常で、素直で卑屈にはならず、いつも笑顔で純粋な印象の人でした。

穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・09|上にかけるモノは選ぶ

 まず、資料集め。それから食材探し。そして、私が食べたいなと思う食事を食べさせてくれるお店。わざわざバカみたいな遠出は体が辛くてできません。県内で、食養生でも使えそうな調味料が置いてあるところをしらみつぶしに調べました。

穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・08|食べ物への意識を噛んで変える

 意外と、振り返って大事な時というのは意外と時系列が、実際の記憶と違っているもんだな、と振り返ればしみじみと思いますね。 多分、ひどい状態で必死に動いている時というものは、インプットの情報量が基本的に多いので、おそらく脳からあふれるので良く忘れています。 ただ、逆に体が覚えていることもあります。たとえば、心臓が凍るような体験をしたときとか、きちんとダメージを明らかに見て理解しておかないと、

穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・07|運を天に任す

ただ、暖かくなるのを待つだけでした 乳腺炎は2年間で4回。動脈瘤は1回。頚椎は日常生活と現場で痛め続けているので、痛みを通り越し麻痺して、冷えたりすると体が固まるな、と思っていました。

穀菜食|一般食を捨てたワケ・06|祈りの意味。メスは最後に取っておく

たまたま「ショウガ紅茶」が体に良いと、テレビでやってたよと、母が情報を受けて教えてもらいました。そのとき手にした本が、医師の石原結實さんの本でした。私は食でなんとなく効果が出そうだと思ったので、さらに効果を出したいと思い、石原医師のやり方をまねることにしました。

穀菜食|一般食を捨てたワケ・05|胸の形が変わっている……“何か”に捕まった

 父のショックもあり、新しい連載も始まって生活のリズムが崩れたというのもあり、意気消沈していました。そしてまた、変な緊張感が出始めてまずいな、と思いました。

穀菜食|一般食を捨てたワケ・04|本屋でつかんだそれが……

軽く「鬱病」と名付けられて、投薬を一年。そして、薬から離脱した半年後。  一度、どこかの団体に所属しようと思いました。なぜなら、あまりにも行動が一人だったからです。(正確には、一人ではなかったのだけど、という、自分とも他人ともコミュニケーション不全だったと今では思います)フリーのプレッシャーに体が耐えきれないなと思いました。

穀菜食|一般食を捨てたワケ・03|病気で薬を避けたいのは

「ベジタリアンだから、(この体は)今、持ってるようなものですよ」年に灸の先生の治療と決別し、2008年に食事を切り替え、その翌年の2009年にカイロプラクティックと気導術という気功の一種の施術ができる人に出逢います。その時、こう言われる訳なんです