……「文化」とはインフラと考える
そもそも「その価値観」がなければ…
「よく、年を取ったら田舎でゆっくり暮らすっていうのあるけど、僕は嫌だね。
田舎で暮らすのは、考えられないんだよ。
…物を持たないで暮らすのは幸せだろうか?」
東京生まれ東京育ち、自分の事務所には、NYスタインウェイが鎮座している60代の御仁が、いつだったか、ふとたずねてきました。
私は、ちょっと考えて、「あ、そんなことか」と、こう答えました。
「そもそも、その価値観(物を持つ価値観)が『ない』なら、幸せですよ。どこかの奥地の人とか。
そもそも知らないなら、目指さなくて良いでしょ。
そのまま一生を終えるのも、幸せで良くないですか?……」
その時、私の頭の中には、ブータンとか、アフリカのサバンナとか、アーミッシュの人たちとか、農家のおじいちゃんおばあちゃんたちが、頭の中にザザザっとめぐっていっていました。
「……なるほど、そうか。
でも、僕には無理だな……?」
と、氏は少し、にんまりとして答えました。
「……そうですね」
それも”善し”だよな、と、私は心の中で答えました。
何しろ、私が今住んでいるところは、東京ですしね……。
夜明けと共に起き、日が沈めば床に就く。自然相手は、豊かになります。植えたものに芽がでて、大きくなっていって。稲の花はかわいいし。四季がある日本は移ろいが豊か。近い国があるとすれば、ヨーロッパ圏だとイタリアくらいかな……。
なぜ、三作神楽は存続して、実家の集落の神楽は消えたのか
なぜ、三作神楽は存続して、実家の集落の神楽は消えたのかとふと考えて、比較対象してみました。大きくは2つあるんじゃないかなと思っています。
1つ目は、3つの自治会(7社の神様たちが合わさって)で行われていること。
2つ目は、工業地帯、商業地などの一般ビジネス地域との距離があること。
1・3つの自治会
三作神楽は、和田三作地区というところの七社の神様が合同でやっています。
3自治会を合わせて三作地区というのですが、エリアが割と広いです。地域の横のつながりが存在します。
それに対し、うちの実家の集落は、自治会は一つ。地域にぽつんとひとつの氏神様しかありません。横の繋がりが構造としてないわけです。
ひとつしかないので、それがなければおしまい。
数が多いと、それだけ地域的には広がりがあるので、何らかの問題が起き、やめざるを得ない場合でも、ひとつで終わりません。なんらかの手が打てるし、違う意見も出てきますから、存続の可能性が増えます。
2・工業地帯、商業地などの一般ビジネス地域との距離
三作神楽の和田地区は、同じ町でもちょっと離れた地で、標高が高い位置にあります。平地と2、3度は体感温度が違う感じがします。
うちの集落は、一般ビジネス標高がほぼ一緒。距離も近いのです。ようは、現代の一般ビジネス地に飲まれやすい地にあります。
どっちが、文化が生き残りやすいかというと、和田地区のほうですね。山の標高差が良い意味での地域の壁になっている感じがします。
マスコミのテレビ情報がガンガン流れるなら、地域の空気感が変わる方が「忘れることなく」存続できる可能性が高まります。リアル感が薄れますからね。うちがつぶれた50年くらい前は「日本的なもの」が意識的に消される時代でした。
うちの集落では、一般商業地までの心理的距離が近く、よほどの事をしない限りは、マスに負けます(事実、負けているし……笑)
「文化」とはインフラである
……伝統文化を守るというのは重要なことだ。では、それは「なぜ?」と聞かれて、明確に答えられる人は少ないでしょう。
これを経営(マネジメント)の視点で考えてみます。
日本の姿を正しく見る
まず、日本の国土を正しく把握しておきましょう。位置を、ヨーロッパ圏の北緯を合わせると、日本の大きさが分かります。
上はデンマークから下はスペインまでが、日本の北海道から九州までの北緯差です。日本の文化の豊かさは、それらを封じこめたくらい差があります。メルカトル図法で作られた地図は、平面で便利ですが、正式の面積ではないので、多くの日本人はたいてい勘違いしています。
ここは自国のことなので、脳内の情報は、正しくしておいた方がいいでしょう。
上下南北に長い我が国。当然、北に住む人たちの食文化、生活スタイル。南に住む人たちの食文化。生活スタイルは、当然違いがあるワケです。
生活スタイルも、様々で、言葉も様々です。でも、共通した「日本」という何かがあるのです。
そこには、共通の言語や、国の成り立ち(神話・歴史)の考え方などの「文化」が下地に流れているのです。
国を支える下部構造、「文化」
20世紀を代表する歴史学者、アーノルド・トインビーの言葉で、次のようなものがあります。
『自国の神話や民話を歴史を学ばなくなった民族は100年以内に必ず滅びる』
『12、13才くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる』
歴史や民俗学に興味のある人なら、一度は聞いたことがあると思います。
ではなぜ、自国の神話や歴史などを学ばないと、滅びていくようになるのでしょうか。
ここに企業の内部統制を理解する簡単な表があります。
企業文化は全社的にみるとインフラととらえます。インフラとは、「インフラストラクチャー」の略で、「下支えするもの」「下部構造」を意味します。
パソコンに例えると、基本的なOSがインフラに当たる部分、管理手順は各種各種ソフトが走っています。
実社会でいうところインフラは、電気・ガス・水道・交通・通信(現在はインターネット含む)などの生活基盤を支えるものを刺します。こちらは、ハード面をさします。
もう一つ、目に見えない「言語」、「文化」、「習慣」というが生活基盤のソフト面のインフラ。
電気がつかないとか、水道が通ってないとか、いまや通信がしっかりしないと、生活も産業もならないワケです。それだけも、実は人は育たない。言語、文化、習慣、こうしたもので人は出来上がっていきます。
パソコンだと、OSが古いと、ソフトが動かない場合がありますね。人も同じこと。教育の仕方が古ければ、大した結果になりません。日本語力が弱いと、日本のOSが弱いのとイコールになります。
これを、国家経営の立場から考えると、自国の神話や民話を歴史は、その国の人の中身の共通意識になります。これを伝えないとか学ばないのは、共通インフラが無くなる状態になるのです。共通インフラがなくなるので、内側から倒壊するだろう、と言っているのです。
パソコンだと、OSがないとただの箱です。
キリスト教圏で、キリスト教が公的に守られているのは、共通インフラやOS部分の考え方を統一するためです。
マネジメントとしての「言霊」
言語もインフラ。
よく、日本は「言霊の国」と表されることがあります。マネジメントとしての「言霊」が日本には、強く残っています。
ここのところ、一番、ネガティブ側に引きずっているのは、「非国民」という言葉じゃないかな、と、思うに至りました。ご存知のように、第二次世界大戦中、大本営の意図に反する行為をすると「非国民」という言葉が生まれました。新しくカテゴリーができたワケです。
国家のためにとかで火が付いた精神性を持つのは、日本だけなんですよね。
米国側からすると、戦争は戦略ありきで人があってみたいなことで、そこまで人間的にそこまで熱が入ることはなかったでしょう。
例えば、ほぼ人柱の「特攻」。若い人たちが相手に戦闘機ごと突っ込んで行く。
先方としては、ほとんど当たらないのに、ただ、当たった時のダメージがすごい。「なんだろうこいつら、みたいな……」
そのため、結果的には「原爆」「東京大空襲」「機銃掃射」とか、国際法違反の民間人攻撃になってしまっているともとらえられます。「機銃掃射」は、戦闘機にカラーでカメラが付いていました。確実に、パイロットが人を撃っているのか確認をするために。
「非国民」というカテゴリーは言霊としてゆがんだ形になった
戦後になり「非国民」っていう言葉は、国の本体を反するのと、本来の意味と逆の意味になっていると思います。のびのびと未来を作る人の足を、引っ張る方。
「私たちが悪いんだ」と、戦時中反省が過ぎた。左翼が振り切って「反日」って考え方。自分たちが生まれて生活た国を全部否定していることです。他国にはありません。
現在の60代後半から70代は、「日本的なものはすべてだめだ」という、考え方が、一般的には、はびこる始末になっています。「GHQが~」っていつまで言ってるのと。共通して「安倍ガー」って言ってる人も多いこと……それより、暗殺者を正しく洗い出しをしない方が、国際的にみておかしくないのではないでしょうか。
一部世代では、「反体制をしてない」方が「非国民」扱いになっていると思うんです。
だってラクでしょ? 誰かを仮想敵にして、自分たちの未来を責任転嫁するの。考え方のOS部分、間違えてませんか。国政とか、「公僕」を心に決めて働いている公務員の人もいます。
令和の今でも、私たちは、戦中を引きずっているか、って思われるけど、ほかの分野にも意外にあります。
例えば、音楽の「絶対音感」。重要視しているのは日本だけです。
これは、山田耕筰の負の遺産と言われています。山田耕筰は、言わずと知れた作曲の天才。東洋人で初めて、米国のカーネギー・ホールで演奏会を成功させました。童謡で子供も大人も魅了する曲を作っています。
ところが、戦中、陸軍が戦闘機の機種を確認できるように、固定ド設定で聞ききるのを山田が提案。実施されました。
クラシック畑でも、混乱されている方は今でも多いようですね。(「絶対音感」<「相対音感」ですね。”音”を”楽しむ”には……童謡の指導される先生方は皆さん「移動ド」でした。。。)
「言霊」のマネジメントでポジティブ方向に人を育てるということは
「言霊」をマネジメントで使う人を育てる方のやり方は、私の実家に残っています。
私の実家は、集落でも古い家です。
新規で入ってきた隣の家に「本家」と名付けて、私の実家は「となり」と呼ばせていました。この「本家」は、江戸時代には存在しません。集団墓地でも下段の方になります。
「本家」と呼ばせた意味は、次の通りだと思っています。
『新しく入ってくれたんだね。だからあなたの家を「本家」と呼ぶね。気兼ねなく安心して生活してください。そして、長く栄えてください。』
実際、このお宅を本家とし、近所に2件の分家ができています。今や、子どもたちは巣立ち、それぞれの家庭があります。
現在では、残念ながら田んぼは誰も継いでいないけど。こればかりは、誰もが……知力も教養も足らなかったな、と、思いますね。
「神道」というインフラから神楽で人をつなぎ、育てること
2023年12月末現在、もうすぐお正月ですから、寄ってたかって初詣に行きます。
日本には、そういう「習慣」があるので。ちなみに、神道は一般の宗教と違うので、宗教を持ったうえでまいりに行くのは問題ないようです。
神道は「神の道」。茶道や、華道や、柔道や、剣道や…とにかく「道」。
神社に行くと、ご神体に鏡があるところがある。一礼二拍する前に、拝むのは自分の姿であり顔です。
よく言われているのは「かがみ」の「が」を抜くと「かみ」。”我を抜くと神”。
全ての人には、神の「分け御霊」が宿っている、という考え方です。
「分け御霊」をもって、自分の生きる道を行くワケです。その道の先は、「行ってみないと分かりません」。これは、もう激しく分かりませんからwww
「神楽」は主に神道と日本の神話がベースになります。
神楽をインフラ例にした、場合の人とその地域の育ては…次の3つと思っています。
1つ目は、先人のその土地で生きる知恵、大事な生きるための心構えを後世に伝えらえること。
2つ目は、神楽などを実践することにより、三世代のつながりができること。
3つ目は、ご近所さんの関係性が増え、人間関係が濃くなること。
世代間の縦繋がり、横の関係性が両方できますね。
ちょうどお正月には初詣に行かれることでしょう。日本の”目に見えない”インフラを考えてみるのもいいかも知れません。
少なくとも日本には「神楽」のような、神話の物語を伝える祭りが、もっとたくさんあったんですよね。
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