とある地方都市と地域の伝統文化の話・2|学歴と教養は、残念ながら比例する

……教養と学歴は、残念ながら比例する。

 取材をする側に立つと、する側の人間同士で、時折こんなことも話題に上がっていました。
「相手の深い話を引き出そうと思うと、
 こちらも”深いモノ”を持ってないと、相手の”本当に深い話”は出てこないよね」と。

文化が消えるのは一瞬

実家近所の散歩道にて(2010)

1300年前の創造者への嫉妬

 24年前、およそ1300年続く三作神楽の式年祭の取材中でした。神楽を朝から晩まで付き合っていると、ふと、「1300年前に、これを作り出した人間がいるんだ」と私の心の中にもやもやしたものがありました。
 仕事としては、番組は作り上げたものの、はて……と。
 自分に起こった感情を不思議に思い、私個人の課題として棚に上げていました。

 とても違和感があったのです。それは、「嫉妬」に近い感情だったので。
 「嫉妬」なんて感情は、近しいものに対してが多いんですよね。距離が遠いと「憧れ」になりますから。……感覚的に近いんです、1300年前のクリエイターが。おかしいな、と思っていました。

 実は20代のころの私は、まだ気が付いていなかったんですが、実家のある集落が仏教伝来前で、三作神楽が存続している地と同じくらい続いていんですよね。
 集団墓地の墓石から推測すると、主だった古いお宅の現在の当主は、30代半ば~40代目くらい。

実家の集団墓地
墓の位置がそのまま地域での家の立ち位置になっている

 我が家は、集落の入口に位置し、神社を中心とした主だったところから5番目くらいの立ち位置です。場所柄、おそらく群れの斥候とか見張り役だったんじゃないかと推測するんですが。

「こんな水飲み百姓! 何もないじゃない!」
 街から嫁入りしてきた母が、夫婦喧嘩で泣き出す決まり文句でした。ん~厳しい…www

なぜ、うちは台風被害にあわないのか

近所の散歩道(2010)

 私が成長するにしたがい、うちの初代は明らかにこの地を選んで家を建てたなというのが分かってきます。台風とか川の氾濫とか、自然災害が来ると土地の特徴が出てきます。

 平成3年、私は高校生でした。山口県に上陸した台風19号、いわゆる「リンゴ台風」の時のことです。瞬間最大風速40m/s以上。台風が上陸したはしから、鉄塔が、もれなくなぎ倒しになるなどの被害が出ていました。
 風が強くなればなるほど、直に家には当たらず、そばの谷から風が吹きぬけるか、山の上を走っていました。ただ、さすがに風速40m/s。家から見下ろす位置にある田んぼとかには、どこからか飛んできたトタンとか割と大きな”小枝”が、空中を水平に流れていきましたけど。当たると、軽く河岸を渡れそうです。

 台風が過ぎ去った後、1週間くらい市内が停電になりました。それでうちの水が出ません。実家で使う水は当時、井戸からモーターでくみ上げていました。
 我が家は30メートルくらい掘れば水脈に当たります。ところが、うちの田んぼから湧き水が出ている箇所があり、そこから水が運んでくることができたのです。田んぼの位置は基本的には、水の流れにそって作られていました。

ありがとう、毛利のお殿様

田植え時期には、
水路が開かれて水が満たされる

 高校卒業して、山口芸術短期大学の生活芸術科、人文コース(現在は、カリキュラム変更につき存在しません)に進学。

 平たく言うと、学芸員養成過程で、カリキュラムが油絵・染色・デザイン・陶芸など芸術技術系全般から、音楽史、古文書、考古学までありました。
 私は進学先を美大にも選択を広げようと思って静物デッサンなどを学んでいました。が、身体が弱すぎで、県外への進学をあきらめ、かといって働く体力もないので(全身の痛みで持たない)、結果的に県内の芸術短期大学に進みました。そこで、実家の地域情報をさらうことになりました。

 キーマンは、人文コース助教授だったT先生。「防長風土注進案(ぼうちょうふうどちゅうしんあん)」など古文書を読む授業で、ご指導いただきました。
「防長風土注進案」とは、天保の改革を進めるために長州藩藩主・毛利敬親(たかちか)が、地区の由来から土地の広さ、各種産業などを細かく記したものです。江戸時代後期の庶民の生活が分かります。

 何かの用事でT先生の部屋に行きました。そのとき、私の出身地の話になり、実家の住所を言います。

「……そのあたり、確か、由緒正しいところよ」

 私には、意外な答えでした。そういえば、うちの小学校の校区に一か所、古墳があるのだけど……。
 T先生は、ショートカットの似合う小柄な女性で、行動に独自のペースがあります。私たち生徒では、とても行動が読めない女性、というような印象がありました。

「そうなんですか? 母は、いつもうちのこと”水飲み百姓”って言っています」

「…それは違うと思いますね。ちょっと待って。探してあげる…」

 と、古地図の写しを出してくれました。毛利のお殿様は質素倹約を実現するため、田畑数と年貢量の確認で、地図を多く残しています。先生の出してくれた古地図の資料は、うちの集落の地形だとすぐにわかりました。そして、私の家を発見します。両隣のお宅は、古地図が作られた時には存在しないようです。

「うち、ここです!」

 T先生がそのとき、どんな表情だったのか、私はさっぱり覚えていないですが……。

 生まれにそもそもの恨みがある父と、街からとんでもない田舎に嫁入りしたと思い込んでいる母にはさまれ、ただ、DNAに従ってみると、近場の大人の対応すべてに疑問がある娘の立場からすると、現代社会と明らかに乖離している我が家のもやもやの答えの一つが、そこにあったのです。

 生きて生活しているものが、江戸時代以前から現代まで続いているから。そうか、ありがとう。いろいろと残してくれて。毛利のお殿様。……みたいな……。

歴史の軽視と個人の恨みから、文化が消えるのは一瞬

父の介護のため準備した部屋に
父は三日といなかった(2010)

 2010年、発見時にすでに大腸がんが転移した状態だった父は亡くなり、2022年の昨年、13回忌をお寺でしました。
 その法要でのこと。家から持って行った位牌の中に重ねてあるご先祖様の戒名の書かれた札があります。それを除いて、父の戒名の札だけにしてくれと、住職が言われます。なるほど、と、そうしました。
 そのとき、私は異変に気が付きます。
 すべての札が新しく、明治以降に書き換えてあるのです。

「……なんてことを……」と、私は思わずつぶやきました。

 おそらく、父の毛筆での筆跡です。自分ががんを患った腹いせにおそらく。
 孤独に土地を守ってきて、世の中に認められないというねじ曲がった自己承認欲求がこの姿、ともいえるのですが……。

 私が小学生のころ、仏壇にある位牌の厚さを不思議に思って、覗いてみたことがあります。漢字はある程度読めるお年頃だったので、多分、高学年かそれくらいだったでしょう。

 位牌の屋根部分をポコッと開けると、明らかに古いと分かるお札がぎっちり入っていました。数枚取り出すと、表に戒名、裏に没年月日が書いてあるのが分かりました。

 印象深かったのが、天保元年。東北地方を襲った天保の飢饉のときに亡くなったご先祖様がいるのが確認できます。(くしくも、それを受けた「天保の改革」が、そのあとに編纂される「防長風土注進案」。いろいろと困ったから、編纂されたとも取れますけど)など、江戸時代に、あちらに向かわれたご先祖様の札を確認していました……。

「これは、江戸時代からあったのを、小学校のときに確認している……」
 当然、家の本質に興味のない、母も弟も知る由もないワケですが。

 この世の人間でない人に対して、殺意というものが起こるとは思いもしなかったのですが、一瞬、父に殺意を覚えました(笑)。真の教養のない者は、先人に対して尊敬もなく、自分の子供の価値観も良く分からず、しばしばこんなことをするものです。
 そこで、母が、何か思い出したように言うのです。
「昔、ここにも神楽みたいなのがあったみたいで、化粧して着飾った、みんなの写真とかあったのよ」と。
「うちにも、祭りで使った大きな数珠があるはずよ」

 ……うわ。それ、めちゃ大事だったやつ……。

 私がまるで知らないので、半世紀以上は前の話。そのころ、地域のおそらく1000年の歴史が終わったようなのです。
 それにしても、今か……www。今、知らされるのか。たぶん、私の記憶からの台詞で、母の記憶がよみがえったのだろうと思いますが……。
 氏神様の神社は、あきらかに神輿を置く場所がある。まず、なんらかの祭りがあったとは推測はしていたのだけど。

 冒頭の、三作神楽のそもそもの初代に「嫉妬」を覚えたのは、たぶんうちの地域にも近いものはあった。…そんな理由だったからと思います。

学歴と教養は、残念ながら比例する

実家の床の間から(2010)

うちの父は高卒の兼業農家サラリーマン

 私の担当で走りまくってた町の工業地帯にある会社に、父は勤めていました。組合活動とかもやってましたかね。
 声ばかり大きくて実力ないな、というのは、一目で分かります。ので、今の私ですと、「うざすぎるのよ」と首根っこ掴んで投げ飛ばすくらいは、していたんじゃないかと思います……。「氣」は、私の方が圧倒的に大きいので。

 集落の中で父は、「●●(集落名)のイガ」だと言われていました。はっきり言うと「集落の中では誰も止められない」状態だったってことです。いい大人だと放っておきますね、素直に。。。

 まず、長く続いている家の長男なので、一応、「氣」的なエネルギーが一般の人より大きいんです。
 なにしろ、長い地ずっとすんでいる人の念というのは、普通にたまっていきますからね。止まっているというのも相当なエネルギー量です。それに対応できる魂しか、生まれて来ませんしね。当然、ご先祖様のエネルギーが寄与していたりもする(笑)
 それで、単純に「氣」が大きいか強いと、バカでも簡単に「場」の掌握ができてしまうものです。ギャーギャー文句ばかりを言う人は、基本的にはまず社会的に学問する力が低いものです……www

 逆に言うと、エネルギーがある分、実は、実社会では努力は人一倍しないと、自分が思う望ましいところまでいけません。誰かに認められようとして、(一般とはエネルギー差があるので)誰にも結果的には認められない方向に行っている。……こういうの、多くは自分を自ら解説できる日本語力がなく、社会的に流れる学習をそもそも怠っているのもの原因の一つです。

 そういう観点で、父は、満足な人生を歩んでおらず、心にいつももやもやしたものを持っていました。
 ただ、先祖伝来の田んぼを守った父がいたのは事実ですから、来世でどうにか修練してくれと思っています。
 
 自分には能力があって「天才」と思っているなら、より一層努力しろと思っています。
(注:世の中は、一部の天才と能力ある人達のものではありません。→詳しくは次回)
 それが、人の生きる本来の姿だろうと思うのですよね。

学歴と教養は比例する

実家の庭の花を梅雨時期に(2011)

 よく、高校の時、インターハイに出たとかで、柔道とか剣道とかの成績がいいから会社に入れました、という人がいます。こういう方、実は、上場企業だとだいたい「部長」止まりです。

 理由は、実は教養が足りないから。世の中のルールを知らなすぎるから。

 教養というのは何ですかという質問に対して、ひとことで答えるのは難しいと思います。
 ただ、一つの基準としては、文化や、自分が触れてきた分野のこれまで学習してきたものが、良い方向で人格まで影響していて、常に人として成長しているかどうか。
 例えば「これはすごい」とか「アホすぎるわ」とか「これは嫌だと思う」とか、何かしら感情と情緒の基本に訴えるものがあれば、本当に教養として知識が生きてきた状態だと思います。

 教養の基準の一つは、日本史通史、世界史通史を履修しているか、というのがあります。

 「教科書が嘘」とか、「GHQが日本をダメにした」とかいう話があります。が、その問題でなく、純粋に他者ルールを理解できるか、ということのジャッジになります。

 ただ、「GHQが日本をダメにした」という人は、個人的には疑問を持っています。こうした話を感情を持って話している方、ほぼほぼ、自分の理解できない分野になると「あいつらは…」とか「これは苦手」とか言って、すべてを否定する方向になることが多いのです。
 心理的には相手を否定すると、簡単に自分を守ることができるから。同じ分野でも古い事例、深い事例に対応すると、共通してとたんに言葉がなくなってきます。

「社会が間違っている」と、一方的な「洗脳」をされて、自分は正しいのでそれ以上学習しなくていい状態にいます。
 それで、自分の思考から一歩も出ることはなく、自ら立ち上がることはできないものと思います。たぶん、何かの歯車として一生を終わることでしょう(それも幸せなんですけどね…)。

 「GHQが日本をダメにした」「教科書が嘘」という事以外に言葉が出てこない人たちは、個人的には、「ダメにした」概念以上に、「日本」という国の概念が、自らの中に存在しない人たちだなと思っています。
 抽象概念からの、新しい概念を作り出せないと言っているのと一緒。(憲法改正ゼロという数字は、新しいルールを自ら生み出せない力のない国ですと、海外に対して物語っていると思っています)

 有名大学とかになると、大学受験をクリアしないといけないので、ここ世界通史とか日本通史とかは、基本的には通る道になります。
 相手が海外のキリスト教徒とかイスラム教徒とか。世界だと、日本の方が非常識ですから。相手の国に向かえば、相手の文化に準じるのが当然で、こっちも「正しく理解」する必要があるんですよね。

「こっちでイスラムの作法を知らないと、バカだと思われますよ」
 と、自ら望んで中東に住まう、日本人(京大大学院卒)。アジアにもヨーロッパにも見聞に出かられるので、場所柄が良いらしい。

「上司が高卒で、海外主張(中国南部)に行くとすぐ”女”になるので、教養がなくて、恥ずかしくて仕方なかったね。向こうも、バカにしていたよ。意識してやってるんですんですよ、向こうの人…」
 元・一部上場企業の社員(明治大学卒→東大某教授研究室)。
 この方、中国の血が入っているクオーターなので、余計に。自国に妻がいると女を買わなかったので、「お前は、話の分かる兄弟だ」と、本当のおもてなしを受けたとのこと……(笑)。

「日本が一番なのは結構なんだけど、ヨーロッパ圏とか、極東の国のことなんて知らないですね。
 イスラム教の経典に、キリストが出てくるの知ってます? 世界の8割はユダヤ教、キリスト教、イスラム教。だから、世界のそっちのルールが適用されるの、当たり前じゃないですか」

 日本人言語学者(早稲田大卒→上智大博士課程)。
 キリスト教には輪廻転生の教えがないので、環境が生きるのが厳しい地で育った人には、救いになる、というのが、個人的ハイライトの一つです……。救われますよね。

 ただ、高卒でも、上場企業での「部長」クラスまではいけるんです。

 その中で「日本が一番」だから努力しなくていいとか。もてなしの意味を勘違いするとか。
 技術提供したからといって、その国のルールを知らずに騙されたと思っているとか。そんな日本人は、バカにされてると思います。

他国の文化を理解するとは

 ところで、下記の写真の場所は、日本国内でしょうか。海外でしょうか。

 立派なお不動様。

 正解はアメリカ。NYのメトロポリタン美術館の一室。

 「わびさび」含めた、まっすぐな日本がそのまま展示してある。
 ……ということは、そういう学術的にはデータがたまっているということですよね。正確に研究され、理解されているということですよね。

 かたや日本は? と、私は思っているのです。
 たぶん、まず自国の解説もまともにできないくらい教養が下がっている気がするんですよね。

参考文献