とある地方都市と地域の伝統文化の話・1|豊かな街の構造は製造業にあり

「神話のない国は滅びる」

 2023年11月12日に周南市(旧新南陽市)和田地区の「三作神楽」の式年祭がありました。
 式年祭は6年に一度行われます。
 昔は、「7年に一度」という表現をされていたように思います。数え年は分かりづらいので変更になったかしらね。十二支の卯年と酉年に行われます。他のお祭りで、昔ながらに神楽とか、「7年ごとに」っていうのは、十二支の何の年と何の年かにやるというが決まっています。
 とはいえ、今年を逃すと6年後かと、ちょうど実家の所要も重なり、久しぶりに足を延ばしてみることにしました。

 三作神楽(山口県周南市)は、国指定重要無形民俗文化財に指定されています。
 6年に一度の式年祭。言い伝えでは1300年前に大飢饉があり、五穀豊穣と疫病退散を願い奉納されたのがはじまりとされています。舞台となる神殿(かんどん)をたて神を迎え、舞を奉納し、神を戻し神殿やぶちまでが行事の一つ。
 準備は一週間くらい前の神殿を立てるところから始まります。舞が奉納される日は、朝から夕方まで23の演目が休憩なしで演じられます。神殿は、翌日に取り壊されます。

 懐かしいお囃子には、地元の中学生たちが参加していました。
 舞の間に、「日本の宝ぞ、君らは!」「ええのー!ええのー!」合いの手が入るのがまたよし。

「あれは雇ってきたのか?」と、合いの手を入れる人に地元の人が言ってたけど…。
 …私がかかわった最初に、そんな方はいなかったかな(笑)。それにしても当時比べると、報道から一般のスマホまで、圧倒的なカメラマンの数……。

 それから、柴鬼神(神楽の邪魔をする役柄がある)もそんなにフリーダムに舞舞台を使ってなかったなぁ。成長したのか……てか、おひねり飛んどる…(笑)。

 現在の三作神楽保存会は、私と同世代が引っ張っています。
 今回は、その子供たちが神楽にも登場しています。お嫁さんたちは、父から子に受け継いだ舞が、ケガがなく無事に奉納されているか(かなり身体的に激しい)、不安げ。終わると、「無事に終わったわ」と、ホッとしている表情でした。
 そのお嫁さんたちの姿を見て、本当に伝統文化と共に生活されている人間的に賢い方たちだな、と、感慨深く思ったわけです。

振り返る24年前…市広報番組とケーブルテレビ

愛機すぎで絵を描いているVX-1000

 三作神楽と私のご縁は、24年前、国の指定を受けるところでの市広報番組で、ドキュメンタリータッチの特集を作ったのが最初です。当時の番組ディレクターが私。

 当時、私はケーブルテレビの番組で、DVcamのカメラを持ちながら市内を走り回っていました。本編のカメラ素材は、HDcamより前のベーカム。4:3のSDサイズ時代。
「国の人が、こっそり来るぞ」
 って、その年の式年祭のときには市広報の人が言われて。まったく私は先入観がないので、「マジですか」みたいな一言で。
「アクロバットみたいな舞もあるんだよ! やっと認められるかもね!」
 私は、二つとなりの市に住んでいたのですが、お祭りのことは知りませんでした。

 国の人は、あくまで「古式」が存続されているかの判断のためにこっそりいらっしゃるので、取材中はそのことは内密にとも言われました。
 その式年祭の年の市の広報紙は「三作神楽」を、今の言葉でいうと全力で”ガチ推し”で。市の担当の職員さんも、スチルカメラの業師がいましたね(笑)……市役所の職員さんは、だいたい3年ごとに部署配置があるので、多分本当にたまたまだと思います……。それで、広報誌も番組を含めて賞をもらっとったかな。
 ただ、あれ以降、神楽がブームになるとかが出始めたんではないかと思います。

 当時の市広報の担当さんはずいぶんキレ者で、多様な内容でも物事がとてもスムーズに運びました。
 対応する私も私でしたが、すべての特集で「与えられたテーマでの考えられる限りのアイデア」を、できるかぎり叩きこむ(機材にもマンパワーにも限界がある)のを制作上のテーマにしていました。そのため、「普通のCATVの番組でない」と、知人には言われました。

 情報提供する場に立つと、その情報から実社会が動いてこそ、情報を伝える意味があると思っていたのです。
 ただ、私個人としては教養は不足している認知があったので、全力でみなさんの話を聞いていました。

 市の広報的には、ケーブルテレビの地域サイズは非常に相性がいいんですよね。1日に3回とかしつこく流れてくれるので、割と市民のみなさんが観てくださっている。何しろ、知り合いも画面に出るし、本当に「わが町の放送局」といった感じです。当時は、YouTube とかSNS動画とか一切ない時代ですから。

素材撮っていて! って準備された車

カメラ小僧だったおじに取材中にキャッチされる夏祭り時だったかな

 あるとき、市内全域を巻き込んだ防災のイベントで、素材撮っといてって話だったと思います。

 そこで、壊すためだけに車一台準備されたことがありました。……ようするに、車中に取り残された人を特殊カッターで切って、救い出す訓練。それに、車が一台準備されていたのです。
 現場に行くと、イベントを仕切る市広報の方に言われるんですよね。
「ケーブルテレビの広報番組の撮影が先です。民放の皆さんはあとで…」
 カメラマン氏と「なんちゅうこと言うねん」と(笑)とはいえ、車の解体はスタートしていくワケです。
 車の扉を外したとところで、だいたいの素材がそろい、「終わりました! ありがとうございます!」って、民放各報道にタッチ。
 ……いや……我々は周りに愛されていたのね、とその時思いました……。
 あとで聞くと、この解体された車は、街の車屋さんから、廃車にするのを無償で譲りうけたとのことでした。なんだか、町の人たちも「町のためになるなら、いいよ」という空気感がありましたね。旧市は人間的に余裕と豊かさがあり、走っている私も面白かったのです。

豊かな市は、歴史がレイヤーに重なっている

市の象徴の永源山公園は古墳
姉妹都市提携しているオランダの町の水車がある

 この町は、瀬戸内海周辺側に数か所古墳があります。銅鏡が個人所有である、という情報があります(笑)。道路のバイパスを作るために地面を掘ると、土器が出ます(そして、埋められます……)。
 山間部では、上記の三作神楽があります。
 海の近くでは、山車を組んで境内の坂に引き上げ、その山車をがっつり坂から落とし、傾き方でその年の豊作を占う古い祭りが今も続いています。
 大内家、毛利家の歴史の舞台となります。
 峠を挟んで漁師町と百姓の村がありました。祭りの時にはその峠でだいたい漁師と百姓は喧嘩になります。ざーっと海に出て魚群に相手に暮らすのと(塩田もこっちに入るかな)、年に一度の収穫でコツコツ暮らす農家とでは、気質が真逆だからです。
 「昔は公民館の機能が神社にあった」ことを聞いたのは、新しいコミュニティセンターができた取材中でした。町を動かす市民のキーパーソンたちも、歴史と文化に敏感でした。

 戦後、工業化で海は工業地帯になり全国的な企業が入ってきました。

 税収が豊かでした。
 燃やせるごみは固形燃料として再利用し、温水プールや発電に利用。電気は工場に供給されていました(ペットボトルは、安定的に温度を保てる良い燃料になるとの話でした(笑)。もともと石油だしね)。
 下水道は当時で90%以上普及していました。街中なのに、川のそばでは季節になると、蛍が舞っていました。ときどき、県外から自治体が見学に来ていました。
 福祉も充実していました。新しい介護制度での老健施設が出来上がっていきました。
 目の不自由な方の為に、広報誌されたり、朗読をテープに吹き込んだりする方の取材もありました。
 それから子育ても。その市は当時すでに、第三子から保育料無料でした。保育園の時間外など、子育て経験者が子供たちを一時的有償で預けられる、ファミリーサポートセンターが開設されていました。

「子どもは地域の宝じゃけえね」

 町の人からもよく聴きました。

豊かだった市は平成の大合併で隣市と合併

 私はこの市から次の市の広報番組も担当しました。突然、県境までのエリアまで担当になるんですけどね。

 24年たって振り返ると、あの旧市の豊かな姿っていうのは、日本の本来の豊かさを現わしていたのではないかなと思います。

 まず、工場地帯での終身雇用。
 安定した収入で個人の生活と文化を支えられます。市税にも反映されます。
 今は非常に個人事業主の収入が注目されています。たしかに、個人規模も悪くないのですが、明らかに経営の基本が小さくなります。

 街の総人口。何千人、何万人の従業員とその家族までの人生を見るくらいの長期的な財政の器を考えると、製造業が一番強いなとも思います。そして、人の人生を見るくらいの長期的な目線がないと経営とも言えないとも。
 たまたま、かかわった市の形から、地方都市を思うのです。地方で稼ぐから地方で経済が回せて元気になりますからね。
 大企業の中の方においては、自社の利益だけを考えるのではなく、地域文化にも影響しているのは自覚しておいていただきたいなと思います。

 さて、とはいえ。冒頭の三作神楽式年祭でいただいたおもてなし。豚汁とゆかりごはん。
 20年前に、よく地域の祭りでいただいた、旧市の味がしました。

 覚えているもんですね。