日々雑記|脳は一つ、体は一つ。自己倒壊後の再構築を振り返る。

挽きたてってやっぱりおいしいな。スタバでもらった一人分。2023年11月。

 ここのところ、そう振り返り時期のようなので、あっさり振り返りがてら。

 個人的に過去の積み上げは基本的にないと認識していたので、全部忘れることにしていました。そもそも、命がどこまで持つのよ? ってのも10代からわかっていませんから。
 正直今でも、職業特定がめんどくさいので、他人(世の中)がそう言えば、そういうことにしている。

 一時期、「ライターです」と言っていたことがあって、これが、しゃべると視野が広すぎて疑問に思われたことがある。ライターさんは基本的には、自分の「生きてきた分野」以外のものは、言語化できないものなんで。でその分野(自己の中の価値観)で、正義とか善悪つけた文章を書かないと商売的に成り立たないんです(笑)

 一般的な属性の人には、「このあたり」感のある職業名で対応できますが、

「あなたは違います」

 と、私に対して言われるのは、だいたい、国政周辺で仕事をされてきた方々。人のカテゴリーとして、純粋に違和感があるので、疑問を持たれる。その時は、テレビを離れて上京する直前だったので、自分から「テレビ」というのに躊躇があるんですよね。業界からは離れてますし。

「実は、元テレビ屋で・・・」

 と言うと、「空気あるわ」と、納得される。
「なんですかね。
 あの、テレビやる人の空気感…」
 と、その方は国会議員の秘書さんでしたが、そう言われました。職業として、クズ前提だから、「自分をかっこよく認めてもらい」とかの一般基準が違います。公でも上と下、両方やってる感みたいな。

 それにしても、余り多くの価値観を見て、自分が持っていたりすると、人間ていうのは動けなくなります。それぞれの立場において、正義が違うことになるのでね。

自己倒壊後、どう生きる?

2023年11月某所の元気な友人

「死に行かせたのか?」

 中学1年の頸椎損傷事故から30代の乳がん動脈瘤までよく対応してくださった先生が母にそう叱ったそうでした。実際、上京後体が動かなくなり、右腕は微細な動きができなくなり、字を書くというコントロールすら怪しくなります。東京に住むなら、治せる技術か人いませんか、みたいな。

 その当時、東京で一緒にやってて私を軽視していた人たちというのは、なぜだか人生が酷い方向に行くのが不思議です。一般的な現代社会の善悪の判断では。ただ、天のジャッジで善しともとれるので、私はほっときます。
 人のことばかりやってて「自分がない」のは罪だな、と最近は思います。手伝いをしてはいけない人物というのは、さすがにありますね。そういう周波数帯にいる私の方も罪(笑)
 人は人、自分は自分。

日本神話にある、生きる基準

 それにしても体ががたがただと仕方ないな、と思います。結果的に人を治す場に行くようになって、自分も人も治すってところに至ります。

 人を治すっていうのはおこがましいと常々思っています。人を治すというのは、自分を治すということ。結果自分のエネルギーが人より大きいのに気が付かずに(先生が、私のエネルギーが基本的に規格外で自分以上なので教えなくていいと放っておかれたww)、振り切りすぎて、命が間に合わない亡くなる人と同期し続ける羽目になるのです。さすがに、人間的にはほっとけないのでね…。それで、ほぼ、私のエネルギーは、この世にいない状態になりますね。

 それで、思うのですけど、亡くなる方にどういう意図・経緯があったとしても、医療(他者)に判断を頼り切って命を落とした人って、家畜も同然のエネルギーがします。
 なぜって、身体を治すのは、医師じゃなくて自分で決めることだから。危険な薬の判断も、本当は、自分自身の身体的機能が落ちて鈍感だから、いやだと言えないってこともあるんですよね。社会観念に飼いならされていますよね、と。

 2023年の今年1年は、ほぼ、自分の治療についやして、自分の活動はほぼシャットアウト。治療もとりあえず出口が見えないので「久しぶりに詰んだな~、ただ、心身はまだこの世に残っているんよな~」とか思っていましたが。何しろ誰も治せないのが分かる。…とはいえ、仮説と実証を繰り返し、だんだんと回復はしてくるんですが。
 タイミングで実家の母の足腰に手入れが必要になり、久しぶりに帰郷。こちらも、そんな年にもなったかと。

 そもそも、人は持ち合わす脳は一つ、身体は一つ。さまざまな価値観があったとしても、一つしか仕事がならないんですよね。で、様々な価値観を見てきた私が行動を選択するときには、「感情」と「体感」を使うことにしていました。誰のジャッジも当てにしない。

 この日のこの時に、この両親のDNAをもって、この土地に生まれたのだから、細胞内にはいろいろ「設定、計画」が体に存在すると仮説を立てたんです。
 でまず、これまでの人生をジョーティッシュ(インド占星術:生まれから脳の使い方、行動を見ることができる)外部から確認する。
「骨折に気付かない痛みってどうなの?」…20代の時、撮影中に鎖骨と肋骨2本折れたのを放置していた…w
「気付かないんです。脳は、一度に一か所しか痛みを感じませんから」…気づかないのは、中一の時の頸椎損傷で全身に痛みが常にあったからなんっすよ…
「それは、分かった。
 骨折に気付かない痛みってどうなの?」
「…だから、それが普通なので、分かんないんですよ(心の声:2度聞くな)
 脳みそは、痛みを一か所しか感じません…。そこから、痛みを脱して、みんなこんなに静かな体で生活しているの? と気付くのは、40代も半ばに差し掛かろうかってところでしたが……。

「医療」は一つ計画上入っている(でないと、今の立ち位置がおかしい)。もう一つ「アート」が存在するけど、これは「掘るといけるよ」と。あと、これまでの40年くらいは「ほぼ選択間違い、てか修行30年設定…。そろそろつらいのは、やめよう…w」ww。

 社会通念的に設計などいっても体が動かなくなるばかりで、なんだけど、自分の身だけはきちんと3次元に存在するわけです(笑)。そのため逆に、私の身体を利用してどう生かすかを考える私になっているんですね。すると、細胞まで残っている記憶も利用する。
 いい意味で、世間はどうでもいい状態になります。
 「心地いいところ」のセンターとか、「これは嫌だ」というネガティブな方が、的確な判断ができたりする。
 世の中の「ポジティブ」と、例えば波動高いとか、ご機嫌とかされているところって実行力がともわないように思うんですよね。センターにいるところの方が、正直なところ波動が一番強いと思っています。実行力が伴うのは「強い」という判断で。

 個人の適正っていうのは、そのあたりからも判断ついたりしますね。個々で「心地よい」ってところが違うので、各種合わさって社会っていうのは成り立っているし。

 社会の基準とは大いに離れた基準ではあるけど、適用としていつしかその「真ん中」あたりで実行するようになります。
 この考え方、日本神話の基準ではあるんですね。
 常に「男女」「上下」だけでなく必ず「真ん中の神様」が存在します。
 白黒ではなく、グレーゾーンにも神様がいる感じ。

第1の三神:天地のはじめ
 神産巣日神(タカミムスビ)
 天之御中主神(アメノミナカヌシ)
 高御産巣日神(カミムスビ)

第2の三神:天界と黄泉の国の接触
 天照大神(天)
 月読命
 須佐之男命(地)

第3の三神:天つ神と国つ神の接触
 火照命(ホデリ=海幸彦)
 火須勢理命(ホスセリ)
 火遠理命(ホオリ=山幸彦)

 

『中空構造日本の深層』河合隼雄 / 中央文庫 


 概念が頭に入っていると、心強かったな。多分、人はそれでも生きることができるってことだろうから。死ぬまで、いろいろな点で間に合えばいいかと思っています。

 とはいえ。ことで写真はわがDNAの生まれた1000年村地域の氏神様。人生が分かりづらいのよね。。。

2023年1月の氏神様