伝える情報量には限界がある
各種メディアから、伝えることができる情報量の大小っていうのは、下記の感じです。受け取り側の感受性で情報は…とかいう以前に、結局一番いいのはリアルに現場に行くこと。
ライブ > 映像 > 画像 > 文章
文章や画像より映像の方が5000倍くらい情報が伝わります、というような宣伝文句をよく見ます(それなので、動画で御社の業務を宣伝しましょうという流れがある…)。が、情報量だけを考えるとするなら、「ライブでそこにいる」のが一番多くの情報を得ることができます。
結局のところ映像は、四角四面の中にその現場を切り取るだけ。その場の匂い、空気圧のような肌感とかは伝わりません。
地上波だと、報道業務があります。
例えば、山中で「死体が見つかりました」とか。現場に向かう技術(カメラマンとか音声さんのことをこう呼びます)の同僚がいたりもするんですね。それで、現場から帰ってきて言ったことが「匂いがねぇ…。山の中で時々変な匂いがするアレです」…。裏山を抱えた実家育ちの私は、「あぁ、アレか」とか思うのですが(そうか、彼も山の中の経験者か(笑)とか思うのですが…)。
また、過去の殺人事件とかのレポートで、在京キー局のレポーターさんとか来た時に向かう、ため池のそばの嫌な空気感…。こうしたものは、さすがに収録素材には乗りません。
現場に行ってみないと、正確なところは分からない。人のうわさと実際は、違うかもしれない。この2点は、現場から離れた今でも変わっていません。
どこを切り取る?
番組は、ある程度ターゲットは絞って作るものだけど、視聴者さんからのおたよりで、意外な層からの反応があってビックリするのは良くあることです。
ご覧になっている視聴者さんは、生活者全般。
赤ちゃんを育てているお母さん。受験勉強している高校生。仕事の忙しいお父さん。女性でも旋盤工とか溶接工の人がいるかもしれない。親の介護でテンパっている若い人もいるかもしれない。病院の入院中の人。足腰が悪くて外出できない高齢の方。ひょっとするとニートの人もいるかもしれない。
当時、私の勤務先は、テレビ塔の立つ建物の中。勤務時間内、例えば週休二日の8時間で、視聴者のみなさん全員の何が分かると思う?
「これって日常からじゃないですか?」
…そう、24時間。
何を話して、若い彼がそんな反応をしたのかよく覚えていないのだけど、このセリフだけはよく覚えています。私が仕事の引継ぎをしていた時に、後任の彼がそう言いました。たぶん、前述に近いことを言ったんじゃないかな。
若い彼の専門はカメラマンで、ディレクターではありませんでした。キー局での海外取材で五大陸制覇した経験がある。機材系は慣れればどうにかなるのだけど、人間そのものが問われる演出面でいうと、ちょっと条件が変わってくるな、と。
「僕は運が悪くて」とも、言う。
実際思えば、何で田舎に帰ったよ、と。しかし、残念ながら私がいた(笑)。
視覚、聴覚、身体感覚、すべての情報感度を、まず上げてください。運(情報)は、みんなに平等に降り注いでいるので、気づかないのは自分の視野が狭いだけ、と。
(正直、12年前の私、今の数倍キレがある…)
現場で撮る素材量
今でこそ、チビカメでディレクターが自らカメラを回すケースが増えました。私がいた頃はまだHDcamのテープ素材。私自身が実際ENGカメラを回すことがあったけど、それは三脚を据えた業務でも許されるケースのみ。肩持ちのENGに、チャレンジしてみたけど業務的に難しいw(頸椎損傷、上に、肋骨上部骨折放置した後遺症で、さすがに力が入らない)。海外はこの時期でも、カメラD(しかも、屈強な女性!)とかいましたね。。。
この人は、タイミングで動ける人だろうかとか、同僚の技術さんを見ていました。技術業務上、可能な範囲内で。
「一緒に回る技術さんの運も上げる」そんなこと考えていました。
人が気づかないんだけど私は気づくその瞬間に、タリー回っててほしい(録画状態をそういうふうにも言う)、みたいな。その画を抑えといて、と、言っとくこともあるし、気づいている技術さんは、抑えとくよと、撮ってくれているのですけど。必要な素材の目安は、実際の放送時間より10倍量。たとえば、3分尺だと30分。10分だと100分。(WEBの映像系の人たちで、セミナーとか自分たちの得意分野以外の画だと、突然下手になるのは、こうした撮り高が基本的に足らない点が挙げると思います)
運を上げるのも実力
「ある程度は運なんよ。
運を上げるのが技術」
新規漁業者を受け入れていた、とある漁協の代表の人。取材先でそんなことも聞きました。
その人によると、漁場っていうのは代々受け継がれている所もあるそうで、行けると獲れちゃう漁師もいるよ、と。逆に魚群が分かっても、獲れない漁師もいる。「これも水商売だからね」うまい人は、運すら引き寄せる。だから、「運を上げるのが技術」と。
運は均等に降り注いでいる。そこから、自分の都合のいい情報だけを選択して、悪運だとか運が良いだとか勝手にいうのですよね。
映像に全部を伝えるには限界がある。だから、素材そのものを収録するときも、切り取るときも、五感を鍛えて真を観る。大事なものってなんだろうと。
とはいえ今、自分でSNS動画をやるとすると…
そういえば、20代のころは「偶然は、三つ重なってから喜ぶ…」とか、かわいげのないことを思っていましたが、今は…偶然は一つでもにっこり喜びます(笑)。ただ、何かしら余ったエネルギーがあるようで、回りで時々、不思議なことが起こるのはご愛敬ですが…。
自分でSNS上で動画やるときには、もう、スマホでいいじゃん用が足せばとか、思ったりもします。メディアが違うので、眉間にしわは必要がないですからね。