去年、2022年の今頃10月の話。訳あって湯治を指示され、「なんだろう、この昭和感…」と戸惑いながら、行ったのが熱海でした。
お世話になった老舗旅館側から見れば、私は、ジブリ映画「千と千尋の神隠し」の「おくされ様」状態だったようです。日に日に顔色が良くなっている私を見て、「うちのお湯、効果あるんだ!」と、仲居さんの間で話題になってたようでした。
熱海の歴史と湯
江戸時代、徳川家康をはじめ歴代徳川将軍が湯治にきたり、湯を運ばせたりした記録もある熱海温泉。
熱海温泉の泉源の多くは潮湯。潮湯は独特で、非常に癖があります。最初から長湯するのがダメで、湯治といっても「ううむ、これはお付き合いをどうしよう」かと考えていました。
「観光はされませんか?」
と、仲居さんがおっしゃる。あ、そっかと、何も考えてなかった。これは、地元の人に聞くのが一番。…どこがおすすめですか?
「”起雲閣”はどうですか? 広くてとても良いんです」そこの旅館から徒歩5分でした(笑)。
熱海は観光地という印象があるけど、その前に、別荘地だった歴史があります。時の富豪は、夏は軽井沢へ冬は熱海にということだったようです。
軽井沢は別荘地の印象があるけど、熱海はそんなに別荘地として印象にない。つまりは、夏の軽井沢しかフォローできない、冬の熱海は手放す、小さな富豪が増えたということともとれるのではって思います。
また、日本の近代史上、大富豪というカテゴリーはたいてい財閥と一緒。そこから戦後解体され、企業体になり、経営はほかの者に渡されるので、最初の当主の存在は溶けて分からなくなります。
ゆえに熱海はどちらかいうと、関東圏に本社がある企業が、研修で使いますというような流れになったんだ、とも考えられます。
ホントはここに注目したい熱海の「起雲閣」2点
「起雲閣」はもともとは、大正時代の海運業で富をなした人が、足の悪い実母の為に作った別荘が始まりで、当時の作りは日本建築。
初代「内田信也」のお母さまの静養を思ってのバリアフリーの構造になっています。日本建築部分には、伝統的な意匠と、優しいエネルギーを感じることができます。
2代目の「根津嘉一郎」。万延元年生まれの根津は、現在の東武グループの前進を作り上げた根津財閥の創始者。クリエイティブなエネルギーがあります。
3代目、実業者の「桜井兵五郎」に、買い上げられ、平成11年まで旅館として使われていました。谷崎潤一郎、太宰治、志賀直哉など時の文豪にも愛され、彼らの代表作品もここで生み出されました。
現在は、熱海市の文化施設として一般公開されています。
と、ここまでは公的な「起雲閣」の紹介。
明治・大正・昭和初期の実業家は、政治家を兼ねていることがほとんどで、エネルギーが高くてただただ強い。個人的には、2代目の根津の、物流と人の流れを作り出す基盤の鉄道事業を作り上げたエネルギーをしみじみを感じて、感銘を受けました。
以下2点は、個人的には根津のところに集まった職人さんのクリエイティブと根津本人のエネルギーが現れていると思うところです。
1・高い創造性
幕末から明治初期にかけて、日本の宮大工と左官職人らがヨーロッパの建築を「見よう見まねで作った」のを、擬洋風建築と言います。(正しく西洋建築を学んだ日本人が作ったものは、カテゴリーが普通の西洋建築です)技術の寄せ集めでレベルが低い建築であるととらえそうなんですが、そうでなくて、日本建築にも西洋建築にもない、味わいがあるワケです。つまり「擬」でないと、面白くない所があるのです。
起雲閣も、そうした擬洋風建築の流れを汲んでいて、高いオリジナリティが混ざっています。
壁に、逐一、職人さんの「手わざ」を感じる点があって、これが非常にクリエイティブを刺激するのですよね。
日本庭園は本当に枝ぶりが素晴らしい松があったり、これは西洋建築の暖炉なんだけど、そのそばにあるこの柱はどう考えても、日本建築での「大黒柱」じゃないですか、とかあったりして。
「起雲閣」は、現在はかしこまっている感じがあるけど、そもそもは、個人の所有物。そうするよう指示したのは根津で、「こんな感じ?」とか、「こんなのやったら、かっこいいですよ!」って、ざくざく作っていったのは、時の職人さん集団だったりするんですよね。職人さんは、同時に、根津のイメージを表現する補佐役でもあったでしょう。
根津は茶人で茶道を嗜みます。美への愛着というものもあったのではないかと推測されます。作り手としては、自身が突き詰めているものを容認されるとうれしいものです。
作られた物の中には発案者のエネルギーが入っていることがあります。
「なんだろう、この創造するのが愉しい感じ…。しかも、なんだかむさくるしい(いい意味で)…」って、思わず私は、ぼこぼこした味わい深い壁を撫でていました。
2・「根津の大石」を動かす根津の個人としてのエネルギー
以前、童謡案件で、日本の音楽教育の基礎を作り上げた人達の話をよく聞いている時期がありました。
日本の基礎を作り出した人というのは、本当に男女問わず「鬼神」のような圧倒的なエネルギーを持ち主が多く、とくに、政治をも動かしていく層は非常に知的にも優れています。
起雲閣の日本庭園には、「根津の大石」という石があります。大きさは20t。現在の見た感じでは、「元からそこにありました」という感じです。公的な資料では、10人以上の庭師を1カ月以上使って運ばせたそうです。
根津は茶人であり、日本の鉄道を作り上げた人でもあります。
つまり、茶道の精神に、日本の礎を築いた圧倒的なエネルギーが加わりますと、日本庭園の中に20tの大石を10人以上の庭師を1カ月以上使って運ばせてしまうね、と思ってしまったのです。
離れの茶室に、小さい入口から腰を曲げて入っていき、一輪挿しにある季節の花を愛でという「わびさび」の世界観が、茶道の一つの世界だと思うのだけど。そこは根津で、一般人の4畳半設定の離れの茶室のサイズが、根津基準では畳450畳くらいが基本じゃなかったのか…と。
何しろ個人宅。単純に、設定が全部大きくないと許されなかったのではないか、と、私は解釈しました。日本の礎を作りだした人ですから。
日本の富豪たち
日本の富豪って不思議なもので、その人個人で、たとえばビル・ゲイツやイーロン・マスクみたいには目立たないです。そして、本人は良く知られていないけど、本人が作り出した関連事業って日常的によく使っているよ、というのもあると感じます。
特に大正期から戦前、戦後、失われてきた日本人の公的にものを作りあげるエネルギーを知識では知りはしていました。が、起雲閣で、こんなに身近に感じるとは思っていませんでした。スケールの大きな日本人って、本当にいたんだなと、ここで分かります。
湯治ついでに伺った私は、「まだ、小さいな」っと、時を介して、国を作り上げた人と周辺にいた人たちにニコニコと言われている気にもなりました。
「起雲閣」…日本人として行ってほしいところです。熱海にいらっしゃる際には、是非。