- 目次【アーカイブぷらす】
ふるさとのわらべ唄 <15> かくれんぼする者 - 1.昔々の日本の唄とは
- 昔々の日本の唄
- 童謡・唱歌と「わらべ唄」の違い
- 2.ふるさとのわらべ唄 戎谷和修 <15> かくれんぼする者
1.昔々の日本の唄とは
昔々の日本の唄
日本の古い子供たちの唄として思いつくのが、童謡・唱歌だと思います。
当時の作家たちが、当たり前になじんでいた日本の姿のひとつが「唄」だらけの日本だったろうと今は思うのです。
数年前、童謡・唱歌で活動している人たちと少し付き合うことになりました。
童謡百人一首という企画をするとき、候補の唄の中に、わらべ唄が入っていました。うちの地方はこういうとか、そうでないとか。「歌詞が変わるんですか」と驚いた中年の男性スタッフがいたのでした。
当時の私は、まがりなりにもわらべ唄の連載を400回くらい繰り返した頃だったので、歌にも地方ルールが存在し、各地で唄が違うのが当たり前でした。
その男性の声を聴いて、日本の「唄」そのものが、ずれた解釈をされているのだなと思いました。日本には時代時代、その土地ごとにちょっとしたクリエイターがいるものです。さらにいうなら、誰もが自分の唄を持っていたというのが、正しいかもしれないと最近は思います。実際、よく地方の盆踊りなどで歌われる「地歌」では、即興で歌う箇所がありますので。
童謡・唱歌と「わらべ唄」の違い
「唱歌」というものの定義は、明治以降の音楽の教科書に載っているものをいいます。
最初は西洋のメロディーに訳詞がのっていた。しかし、日本語を日本語の曲として五線譜に乗せました。代表的な作家が滝廉太郎。残念ながら20代でこの世を去ります。
「唱歌」は、内容的に少し硬いものが多く、子どもたちに日本の情緒が伝わらないじゃないかと起こった運動が大正期の「童謡運動」で雑誌「赤い鳥」が発端でした。
童謡初期の作家、北原白秋は「日本語にはリズムとイントネーションがある」と、ピアノのメロディーをつけるのを嫌がった。その日本語を大事にしたメロディーをつけたいと言ったのは山田耕筰で、東洋人として初めてカーネギーホールでコンサートを成功させた天才。そんなわけで、初期童謡の作り方は、まず詩が先にあって、曲を作る詞先方式が王道だったりします。
童謡には最初譜面がなく雑誌「赤い鳥」に譜面付きが載り始めたのは発刊されて1年後。結局、譜面というのは、メロディーを再現できるという点で有効なんですけどね。
かたや「わらべ唄」はというと、もともと口伝で伝わる土着的な日本の音階のもの。五線譜には完全に乗らないし、紙面で伝わりきるものでもありません。
2.ふるさとのわらべ唄 戎谷和修 <15> かくれんぼする者
子どもたちが「かくれんぼする者よっといで」と人を集め、教室や運動場でかくれんぼして遊んでいる。
勤め先の学校で職員に聞いてみた。山口市出身の古西哲也さんは「かくれんぼする者この指とまれ 早くしないと逃げちゃうぞ」、下関市出身の田中理恵さんは「かくれんぼする者この指とまれ 早くしないと電気が切れる きっきっ切れた ろうそく一本つけた 指切った」と歌って始めたという。「逃げちゃうぞ」「指切った」までに来ないと仲間に入れない。人集めの仕組みが巧妙である。
一方、職員ではないが、山口市の内田伸さんは「隠れている所へ鬼が探しにきて近づいたら『ようかくれ ようかくれ あとから子猫が追うていく』と歌って知らせた」と話し、田布施町の時政春彦さんは「…けろけろないたら雨が降る」と古い唄を教えてくれた。
日本中の誰もがその土地なりの方法で遊んでいたのではなかろうか。缶蹴りや鬼ごっこの要素も交じった様々な遊び方がされている。職員の一人、東京都出身の安村幸子さんは「『お豆』といって、地さな子は見つかっても鬼にしないようにして面倒を見ながら遊んだ」という。ちなみに、かくれんぼは英語で「hide and seek」。外国の子供はどのように遊ぶのだろうか。
(周防大島町立三蒲小校長 連載当時)
歌詞
かくれんぼする者よっといで
ジャンケンポンよあいこでしょ
もういいかい
まあだだよ
もういいかい
もういいよ
一やめた
二やめた
花ちゃんと太郎ちゃん見つけた
一やめた
二やめた
かえるがなくからかえろ
けろけろないたら雨が降る
(田布施町麻郷)
[記事 中国新聞防長本社提供 掲載日付:2007年11月11日]