【アーカイブぷらす】ふるさとのわらべ唄<13>亥の子唄Ⅱ(亥の子餅をつかんもんは)

秋のお祭りはさまざま

 秋のお祭りは五穀豊穣を感謝し祈るお祭りか、無病息災、子孫繁栄を祈るお祭りが多いようです。

 「亥の子祭り」を全国的にみると、関西から西の地域に伝わる子孫繁栄を祈る祭りで、四国にも祭りの様子を見て取れます。
 京都の和菓子屋では、猪を模したお菓子の「亥の子餅」を、10月11月と販売しているようです。

 さて、「ふるさとのわらべ唄」の記事を書かれている戎谷先生は周防大島町にお住まい。この地域は「古事記」にも登場する古い地域で歴史がある。そして、山口県内でもいろいろと伝わっている。

 しかし、なんでわが集落の1000年村に「亥の子」はやってこなかったんでしょう。…子ども目線で考えると、人のうちにいって亥の子をついてお餅とかもらえるのはハロウィンみたいで楽しそうだし。

 2023年の現在、恨み節のごとく思惑していましたら…うちの地域はお神楽があったなと、その奉納時期と重なると各家の門で亥の子を衝くなど…そんなん、農民としては忙しくてやれんかったんだろ…ともとれますね。

 亥の子餅は亥の子の時に食べるお餅。記事によると、亥の子を衝くと同時に餅をつく必要があるようです。

ふるさとのわらべ唄 戎谷和修 <13> 亥の子唄Ⅱ(亥の子餅をつかんもんは)

歌詞
亥の子の晩に
餅ょつかん家は
おじゃをうめ
子うめ
角生えた
子をうめ
(萩市見島)

 亥の子の翌日、備えた餅を切り分けて、寄付をいただいた家に配って歩いた。
 樋口清之著『祭と日本人』には「水田を荒らす害獣、イノシシから作物を守るために、その形の餅(亥の子餅)を作って食べる行事をするようになった」と由来が書かれている。県内では普通の丸餅であったり、芋と米を混ぜた餅だったりと地域や時代によってさまざまであった。
 萩市見島では「餅をつかんといけんということでしょう。『餅ょつかん家は…』と歌いました。外にあんをつける餅を一升枡いっぱい神棚へお供えしよったです」という話を聞いた。
 亥の子はつかないが、亥の子餅を食べるという所もある。山口市徳地町岸見では「一番の亥の子の日に台柄で丸餅をついて食べた。おじいちゃんが『亥の子餅をつかんもんは鬼をうめ、角の生えた子を生めちゅうんじゃ。餅米をかしてつけ』と言っていた」そうである。
 この歌を歌ったり、鉛筆やお菓子などがもらえなかったりしたとき、「隣の婆の面を見い」「これの芋は皆腐れ」とか、にくじ(憎まれ口)を言ったりしたので、この亥の子唄を歌うことを学校から禁止されたという話も聞く。ちなみに、同じ父子で次のような詞を歌う所も多い。
「亥の子亥の子 亥の子餅をついて 祝うたものは 福の神がござる これの家は繫盛 繁盛」

(周防大島町立三蒲小校長《掲載当時》)

当時の挿絵

[記事 中国新聞防長本社提供 掲載日付:2007年10月21日]

今回の唄の収集箇所。
ちなみに、山口県はここです。