街と会話をする。「伝わる」仕事をするということ。

挿絵の為に、ただただネタ出しをしている2022年のとあるスケッチ。

 20代の頃から、なぜだか、仕事場が意外と「公」の機関とかかわることが多かったなぁ、と振り返れば。英語の授業で自己紹介とかするときに、ふと、今と昔があまりに違うため、まとめたことなかったな、と思って健忘録がてら……。

新聞挿絵のはじめ

 新聞媒体での仕事は20代半ばころから。最初は、とある通信社の仕事が最初でした。
 当時、通信社を作ったので独自の紙面を作りたい。地元で絵の描き手はいないかと、探していたワケです。それで、私の名前が挙がりました。

 後で聞いてみると2人から私の名前が出たそうです。
 当時の私は、ステンレスの加工工場の事務仕事を辞めて、CATVの市政広報ディレクターをしはじめくらいでなかったかな。イベント似顔絵の依頼を受け描きに行ったりしています。

で、完成稿はこうなる…。バランスを見て、ひとり増やした。

事の始まり

 名前を挙げてくれた一人は、通信社の代表と交流が深かったラジオのフリーアナウンサーの友人。私との関係は、一緒に芝居をやったこと。
 それから、私が参加していた市民ミュージカル。新聞社の女性記者さんが参加されていてその流れから。私は、短大のころは作演もやっていて芝居は役者もできたんだけど、つまるところはリーフレットとか、演出補佐とか、裏方を担当することになりました。情報共有の会報用にキャストやスタッフの似顔絵を描いて載せていたので、それで「絵を描く人」と覚えられていました。

 実は、絵を描くことが漠然と嫌いで、私にとってはとてもしんどい行為で(笑)。絵描きになるのだ! とも、思っておらず(街頭似顔絵は、人を読みすぎる傾向があって、途中で、人間的に合わないことが判明。現在、治療家を兼ねているのが証明しているか……)、でも、描く技術はあるのでなにか役に立てればいいか、とか言う感じでそこの通信社の仕事を受けることになりました。

 当時は、今ほどデジタル機器は発達していないので、当初は全部原稿は手書き。
 原稿を描いては、リアルな原稿を持って行っていました。絵の内容は、イラストマンガ的な時もあり、写実で実写的なものもあり。そうこうするうちに、メール入稿ができるようになって、デジタルも慣れてきて抽象画シリーズもやりましたね。
 連載が始まるときにはどの絵柄でいくかな~とか考えていました。ひどい時には一面に私の絵が3つくらい登場することがあって、全部同じはつまらないかな、と。絵が重なるときには、さも別の人が描いたように作っていました。

仕事で街の人が動く
~1周年記念のイラストマップと2年目のクリスマス

 通信社の代表S氏はアイデアマンで、いろいろと注文が来ました。
「藤田さん、クリスマスの飾りつけをしたい。イメージを描いてくれないか!」
 当時は、そこの新聞社には地方自社ビルがあったので、そのビルを丸ごとどうにかできないか? というのです。自社ビルは、駅からの並木通りに面した場所にあり、クリスマスシーズンにはイルミネーションで飾られていていました。週末ごとにイベントがあり賑わいます。
 それで、「私たちも参加したい」し、「お客さん楽しんでほしい」ということでした。何かラフを描いて、調達できるものとできないものと考えて……。

 S氏と営業部長と記者さんと私とで、隣県の広島まで基本の飾りつけを買いに行きました。大きなサンタさんとか、イルミネーションとか、ラティスとか、あとはポインセチアをそろえたようで1年目は終了。ちょっと、不完全燃焼気味で来年に持ち越されます。

 通信社が1周年になる前、こんな依頼がありました。
「イラストマップを作りたい。販促用にしたい」
……はぁ。
 このころの私は、CATVの市広報番組を作っている傍らで絵の仕事を受けていました。担当した市は、古墳時代からの歴史があるけど工業地帯の街でもあったので、財務が豊かで市政が豊かでした。歴史、文化、お祭りなどなど。下水道は普及率90%以上で、街の川にも蛍が舞い、福祉も充実。子供たちの施策は3人目から保育料が無料でした。ちょうどファミリーサポートセンターが開設されるなどしていました。20年前ですから、少子化対策は全国を見ても早いほうだったと思います。

 そんな豊かな街で、とても興味深く、面白いことがたくさん発見できました。どこの町もわちゃわちゃあるけど、トップから町のキーパーソンまで、お話をずっとお聞きして、街が動いていくさまを肌で感じていました。

 それで、なんでみんな東京とか大都市ばかりに目を向けるのかな、地方に愛着を持ってほしいな、とか地元に誇りを持てばいいのにと思っていました。

「これ、参考用のイラストマップなんだけど……。これ作った人、こないだ亡くなってね」
 ……うむ。
 ときおり、絵描きでいるのです。作品作った後に急にあの世に逝っちゃう人……。生命エネルギーを一気に使って命がつきるようなことがあります。
 ただ参考用にいただいたイラストマップ、こまやかでとてもいいイラストマップだったのです。

 依頼されたイラストマップは、完成サイズがポスターサイズなので、原紙となる原稿サイズはひとまわり大きめのA1判。作業机が紙で埋まります。
 なんとなく、緑もあって山もあって、歴史があって、といういいところに人が住んでいます、というのを表現したかったのです。ちょっと私の腕では、オーバーフローしなくもないのだけどとにかくチャレンジしようと。仕事で受けたからには、最後まで貫通させます。

 要するに、燃え尽きを防ぐには、知識と技術しかないなとその時の私は思っていました。土台となる支えがしっかりしていれば、ストレスは減るだろうと。
 鳥目線の鳥観図のような感じが欲しかったので、まず土地全体を俯瞰して見るところに行きました。山の山頂に上がり、山の様子を目に焼き付けました。マップ上の地域の情報は、さんざ回っている地域だったので代表と話も弾み、あれこれとみんなでチョイスして入れ込みました。

 配布されると、町中に貼り出されました。みなさんが喜んでらっしゃるのが良く分かりました。今でこそ、地方で発信でアート的に盛り上げる人がいるけど、当時は、誰もその街を表現してくれる人はいなかった。

 中には、「俺の店、ここ」と書き込む人もいましたけど、作り手としては、楽しんでもらえているんだな、と、マップにわちゃわちゃ参加してくれてる感じがして、うれしいものでした。

その後、市が合併したので紙面半分を利用した同じモチーフのマップ。

 そして、クリスマス2年目。

「2年目なんだけどね、藤田さん……」と、S氏。

……はい。

考えたんだ。うちは不夜城になる……」

……はい?

 ビルの一階部分が編集部と営業部だったので、いつも夜遅くまで通りに面した1階が普通に明かりはついているというのです。

これを利用して、1階の窓全部、ステンドグラスみたいにできない?

 ええっと……できなくはないですが。とりあえず、寸法測らせてください。……横幅約9m。縦約2m(笑)。2m×2mくらいの看板なら描いた経験があるのですが……アイデア、考えます。

 黒画用紙、色のセロハンで影絵風にサンタさんがプレゼントを持ってくるさまを……作りましたとも……!

 市販品を貼っているとも外からは思われていたのですが、ちくちくと私が切り貼りしていました。新聞社内ではこれをもって帰りたいと言われる方もいらっしゃいました。
 が、冷静になってください。材料は、黒画用紙とセロハンと両面テープです(笑)。

最終年度の作業中

 街の、クリスマスイベント期間中は、ビルの前は、ワイワイと人垣ができ、記念写真のスポットにもなっていましたね。私は、内側からそんなお客さんの姿を観察していました。
 当然、私が作り手だと、来場されるお客さんは知らないワケで。でもとても、うれしいものだな、と、しみじみしました。

「喜んでもらえているよ!」「反応、きちんと返ってくるんだね!」

 と、新聞社のみんなで喜んだ覚えがあります。好評だった影絵シリーズは7年続きます。たしか、新聞記事にもなってたような気がします。
 すでに、……イラスト枠じゃないんですが。

最終年度。
5年目。
6年目、作成終わりで記念撮影。当時の私は今とイメージ違います。

街と会話をする。伝わる仕事をするということ。

 あれから、時間は過ぎ、通信社も代表S氏が定年退職ということでしばらくして解散となり、このビルもなくなり。ただ、新聞社の仕事だけはなぜだか途切れずに今日まであります。
 ただし、私は今や住まいが東京ということとなっているのですが……。振り返ると、地元の街の人と私の絵の会話が、いまだ途切れていないような気もするんですよね。

 そうえいば、当時制作したイラストマップのポスターは、色が変色して「もういいのに……」ってくらい何年も貼ってありました。
 20代のころの私はといえば、「執着」を超えて「愛着する」というような人の気持ちがよく分かってなくて。どうにもならないかもしれないものを、どうにかして動かす人たちがいて。私は絵でずっと、それを「伝える」仕事をしていました。
 そして、「伝える」仕事を「伝わる」仕事にするには、いつもと違う視点がいつも必要だったように思います。なるべく、ポジティブな方向で、街の人が少しでも健やかに元気でいることができるように。本当に動くのは、街の人だから。
 街の人からも、人間的にいろいろと教わった気がします。

 さすがに、今さら「絵を描くのが嫌い」っというのも言えないなぁとか、修練すべしと自らのアートに切り替える方向性になるのですが。これが、海外の人でも文化圏が違っても「伝わる」。

 それで、私の絵のひとつのキーワードとして浮かぶのは、「伝わる絵」。
 20代の仕事から思うと、そんな言葉かな、と思っています。