実家には心の準備をして帰る
ここのところ実家に帰ると、何か関連して身の回りに”何かが起こる”なぁ、と。それで、覚悟して帰ったんですが案の定いろいろと……。
……てなところで、ダイレクトに実家が最近つらくなってきて、東京でも割りと命がけの案件があったりで、一息つこうととりあえず昔住んでた町に行きました。温泉地なんで、湯でもつかって力抜くか……。
ここに住んでるころは、足湯しか利用してはいなかったけど、去年くらいから、客として身に全身浸かる身になりましたとさ……。この後、JAZZ喫茶に向かおうと思っているのだけど、早々に一杯。
木綿豆腐と父と癌と田んぼ
鉄板焼きとかもんじゃとかできる屋台みたいな店に、ふらりと腰をすえたものの、肉は食べることができないので、冷ややっこをたのみ(笑)……出てきたのが割とがっつりと木綿豆腐だったので、眺めていると不覚に父を思い出します。
これに熱燗が父の定番だったかな。私が小学生頃の父の晩御飯の定番でした。
父の食べ方が独特で、木綿豆腐一丁の上に四角く仕切って穴をあけて、醤油をそこに入れて崩しながら食べます。たぶん、穴で醤油の量を調整していたんだと今は思うのです。
豆腐の食べ方といえば、この父の食べ方がメインだと思っていました。ネギやショウガとか、湯豆腐とか他のおいしい食べ方も知らずに。
この時の父の年齢を思うと、今の私より若かったんでないかな、とも思います。
父は大腸がんで亡くなりました。大腸がんが見つかった時に、肺と肝臓に転移していました。検査で病院に行くと、そのまま入院手術と相成りました。
ただ病院に検査に行く前に、その年の田んぼの為に準備していた苗だけは、植え切ってから病院に行きました。体は相当つらかったはずなのに。
残念ながら、それが、我が家では最後の田んぼで作ったお米になりました。思えば、父は、最後の最後まで田んぼを守った人でした。
葬儀の日は、くしくも参議院選挙の日。棺に何か好きなものを入れよと言っても、愛着をしているものが思いつかないのでそのままにしていました。ところが、お別れの時、だれからともなく、それぞれ手にしていたお経の紙がどんどん入れられ、父はお経に包まれて焼かれることになりました。浄土真宗は同音するところがあるため、お経の用紙が配るのです。
それから、まる12年。私も上京して、病は改善され、グレーゾーンの障害もコントロールが効き始めて、なぜだか人の治療を行う側に立ってもいます。
13回忌の法要のため、お寺にいったところ、ふと母が昔の話を始めました。
化粧して衣装を着た写真を、見たことがあるというのです。それによると、50、60年くらい前まで、うちの地域でも神楽のようなものを奉納する行事があったようなのです。
実家のある地域は、1000年以上続く集落。(日本にはいくらかあります)集落は、30代以上続く家系がざら。実は、実家にも、祭事で使うような、大きな数珠を預かっているとのこと。
神楽と信仰を考える
神楽を伝えるという、考え方の一つとしては、主に神話の物語や世界観を伝えることで、生き方の哲学を教えています。また、伝承することにより、おじいちゃんおばあちゃんから、孫へと、縦のつながりが多くなり、人としていろいろな意味で強くなります。
「神話がなくなる国は亡ぶ」とも言われています。理由の一つは、生きる哲学がなくなってしまうため、と私は考えています。
おぎゃーと生まれたままでは、ただの獣ですから。
信仰は、人として社会的に生きる基盤になる考え方を教えてくれるものと思っています。
私の実家の集落にみる古来の集落の作り方は、人が楽に食べることを含めて、住みやすい土地を見つけ、そこに家を作ること。とりあえず、我が家は非常に日当たりのいい地にあります。
まず、住まいの作りは風をさける箇所。井戸は浅く水が良く出る。田んぼは、どんなことをしても水が流れてる場所に作り、少々の日照りでもへっちゃら。
江戸時代の古地図に、実家の位置があったので、おそらく最初から、今の実家と同じ位置に家があるのではと推測します。
さらに、集落を一望できるところには、神社があります。
信仰とは人間の生きる哲学と考える
神社は、戦前まで公民館(コミュニティ施設)の役割も同じにしていた。日本人の生活感と宗教(信仰)を引き裂くために、公民館という施設を作りました。それは、GHQの施策です。
神社には、明らかに神輿置き場があって、神輿を使った祭りあったふしがあります。神輿があったってことは、住んでいる人も、それ相応の人数がいたはず。
ちなみに、今でも、集落の誰かが毎日神社を見に行く「常夜灯」が回ってくる仕組みが残っています。
神楽があったとすると、たぶん唄と楽曲があったことでしょう。
そういえば、父は若いころ、飲みに行った店で歌った礼にビールを店からもらっていたと言っていましたし、弟は、かなりの高音域があります。直系長男には何かしら唄の能力があります……。
そうしてなぜか私も、気が付けば歌う人になっていたり……。音楽ではないけども、新聞紙上では、かれころ15年、500回を軽く超えた「わらべ唄」の挿絵の連載をしていたり……。
良く、他国の文化だけを学び「一流」というのに、個人的に疑念がありました。それは、私にこうしたルーツがあるからだろうと思います。自分の地元のことや、国の歴史の事が放っておかれる事実に、気が付いていない感じがするのです。
自分が理解できないのに、他者の理解をして良しとは、私はできないのです。
今の、グローバルを訴える自分たちの権利を主張する一部の人は、ほとんど、自分たちと自分たちの子供1~2世代の時間軸でしか物事をジャッジしていません。
それが、人として美しいかというとそうでないと思います。
坊主と家系図
ところで、そんな我が家は父で正確に何代目なんだろう……。実は何代目ということはわかっていませんでした。
集落の集団墓地の並びからすると、上から数えて5番目くらいなんですけどね。
こないだ母に、いつもうちの神棚に拝みにいらっしゃる出雲大社の神主さんに尋ねてもらうと、それはお寺の仕事だとおっしゃったそうです。
実際に、日本のリスクマネジメントの観点では、仏教伝来後は、自然部分は神社、人の部分は仏教がまかないます。
お坊さんに家系図を確かめたい旨を申し上げました。
すると、市役所の戸籍で調べられると口にされる……。それは明治以降(笑)。意識ないのが明らかです。
こちらの意向は、江戸時代以前のこの土地に住んだ最初からの系譜をあきらかにしたい訳で……。ちなみに、市役所の戸籍は、父が亡くなった時に確認していて、さらに私は、家にある位牌の記録から天保元年まで確認しています。
川があふれるとつかるところにあるお寺さんは、その建ち位置で派生年代が若いというのが分かるのですが。こちらがこの方の育つのを待つしかないところか……。
この場合の対処方法としては、檀家さんが掃除という形でお寺に奉仕して、資料を拝見するという形があることにはあるのですが。
ただまぁ、葛藤がある場所に文化っていうのは生まれるもの。
現代において、ポツネンと放っておかれる「神楽も失われた事実」に、存続と発展って本当に知恵がいるなと思う次第なのでした。
ところで実家のにゃんこが私の為にお土産を”狩って”来てくれました……。そのお土産は、モグラ。毛並みの美しいモグラさんでした……(泣)
直系長男の父の13回忌。いろいろとありました。