日々雑記|絵描きの描く絵には意味がある とある女の子のお話

2014年のカフェ「月猫」にて(現在は閉店)

しかし、この絵は楽しいね…阿佐ヶ谷のとあるカフェにて

「一番最初に来たときのこと、覚えているわ。グラスの赤ワインを頼んだ」
 にゃんこが2匹いるのに惹かれて入ったお店の女性店主は、アーユルヴェーダと鍼灸を扱う治療家でした。人を治療するうちに、結局、人の体に食べることもやんなきゃいけないと思い立って、カフェを開いていました。夜は緩めのバーに変わります。
 私の最寄り駅に近くにお店があったので、帰りにちょっと一休みするのには最適でよく寄っていました。にゃんこにも会えるし。ただ、やってくるお客さんが本当に風変りな人ばかりでしたけど。

2014年カフェ「月猫」にて

 それであるとき、ふと思いついて私の絵を飾ってもらっていたんです。たまたま隣り合わせた、鍼灸師の紳士がその絵をじぃーっと見つめています。店主の話では、他のお客さんの中でも同じように、ときどき絵をじぃーっと眺めている人がいるんだそうです。
 私が描き手だと紹介されまして、氏との話が始まりました。

「青いついたてみたいのがあるじゃない?」

 はい。
 それは”音の形”です。

「そうだろうね。
 右がはっきりしている、左がぼんやりしている。

 これでも、絵の見方を学んだんだ。
 右が現在で、左が未来なんだ。これを見ると、左のバックがぼんやりしている。つまり、未来がぼんやりしているんだね。」

あたりです。確かに、描いたとき時そうでした。

 右が現在を表す、左が未来というのは、アニメの演出文法でもよく用いられています。人は左に心臓があるので、左にはリスクを感じやすいし、右は安心感があって受け入れやすいのです。未来は不確定要素が多く、リスクにあたります。リアルな舞台とかだと、正義の味方や神様は、向かって右側から登場します。純粋に受け入れやすいですから。

「足元がしっかりしてる」

そうですね、”彼女”はいつも裸足。

「人に見せるために描いていないでしょ

……確かに。そうかも。額装にする予定の絵じゃなかったし。

「しかし、この絵は楽しいね」

そうですね。 音楽の中にいますからね……。


 いろんな見方があるんだな、と、おしゃべりしながらしみじみと。描いてきた私が思います。実は、この絵の女の子には、長い物語がついています。

とある女の子の物語

2014年 ”Draw a blueprint” 水彩・色鉛筆・紙

 いつからか知らないけど人がいる、とても古くて小さな日本の里に、この女の子は住んでいました。
 お父さんとお母さんとしゃべりはじめた小さな弟と、頑固なおばあちゃんも一緒でした。お父さんは先祖伝来の土地で田んぼを作っていました。食いしん坊だった町育ちのお母さんは、お父さんを早くに亡くして食べることに苦労をしたので「食いっぱぐれないかも」と思って、お父さんとお見合いで結婚しました。

 二人の間に生まれた女の子は、とても好奇心旺盛でした。でも、いまいち人が苦手でした。エネルギー体として人を見るので、人が人に見えておらず、感情に強さがあったので、これをどう表していいのかわかりませんでした。

「痛い」のがわからない、倦怠感と退屈感

 おばあちゃんもお父さんも喧嘩っ早く、晩ご飯の時間はだいたい喧嘩になります。お母さんは正義感が強く、負けん気も強いんだけど、感情が高まりすぎるとすぐ泣いちゃいます。
 女の子は、いつもお母さんに何かあっちゃいけないから守ろうと、いつも、お母さんの話相手になっていました。ところが、口を開けばお母さんはお父さんやおばあちゃんを攻めてばかり。悪口を言うお母さんが体にまとったとげとげギスギスしたエネルギーが、女の子に刺さりました。

 女の子は「痛い」という感覚がわかりませんでした。そのため、痛いことが自分にとって望ましくないことだと知りませんでした。だから、お母さんのネガティブなエネルギーに浸食されてばかりでした。

 次第に、女の子は自分のこころの様を、出してはいけないと思い始めました。
 お父さんは車でいろんなところに連れていってくれるし、釣りに出かけたりテニスのお供をするのも、嫌いじゃありませんでした。ご飯のたびに喧嘩になるのも、女の子にとっては普通だったのでさほど気にならず、でも、終わった後までそんなに悪口を言うのか分からなかったのです。恨みやつらみや悔しいとかのネガティブな感情は理解できません。

 それでときどき女の子は、布団の中や裏山や、その辺の草むらの中で、じっと何かをこらえていました。エネルギーの浸食を受けている倦怠感と、家族の不機嫌さに退屈していました。そのため、ぼーっとしてることもしばしばでした。

音楽に出会う

 女の子は、幼稚園に上がりました。
 幼稚園は3つくらいしか教室がない小さな木造の平屋で、お世辞にも日当たりのいい場所ではありませんでした。でも、教室に日が差してきたりして、それを温かく感じました。

 音楽の時間があって、先生がオルガンを弾いていました。オルガンの伴奏に合わせてみんなで歌を歌います。
 最初は女の子は、自分が楽しいのか楽しくないのすら分からなかったけど、だんだん音楽の時間が楽しくなってきました。
 なぜか歌ってるときだけ、女の子にはクラスのお友達が”しっかり見えた”のです。たとえば、ただ一生懸命歌う子とか、めんどくさそうに歌っていたりとか、表情豊かに歌う子がいたりとか。一人ひとり違うように歌っているけど、みんな一緒というそんな感じが、とても楽しく感じました。
 家に帰ると、みんなで歌ったことがうれしくて、どこでもオルガンを弾くまねをしていました。

 女の子はその後、オルガン教室に通うことになりました。小学生になると、それが電子オルガンになりました。でも、電子オルガンの音がとても苦手でした。本当は生楽器が良くて、ピアノが良かったのになぁ、と思っていました。

 お母さんは絵を描くのが上手で、公募展などでも目立つ存在でした。女の子も絵を描きました。新聞の折り込み広告の裏地の白い紙に暇さえあえば絵を描いていました。でも、女の子のこころがザワザワしているときは絵を描くことができませんでした。心をなだめるために電子オルガンを使っていました。
 音楽は好きだけど、やっぱり電子オルガンの音が嫌いでした。でも、こころのバランスは取れていたのです。

不安な気持ちもバランスしなくなれば……

 女の子が中学校に上がった時、部活が忙しくなったので電子オルガンのレッスンをやめることになりました。それで、女の子のザワザワしたり不安な気持ちをバランスするものがなくなりました。
女の子は、感情的な強度がありました。それで、エネルギーとしての感情的な「痛み」を、物質的に再生しました。

 教室の時計が頭に振ってくる事故にあって、女の子は元気をなくしました。

 学校にも通うのが困難になり、どこの病院にいっても不調の原因がわからずに、ただ苦しみました。
 女の子に治療を施したのは、その地域を車で回っているお灸の先生でした。この先生は、置き薬屋の会社の社長で、なぜかJAZZ好きで猛烈な音キチ(オーディオマニア)でした。先生の手を借りて、どうにか学校に行けるまで元気になり、女の子は大きくなりました。

2014年東京阿佐ヶ谷のとある窓際

私の中の小さな私

 まあ、絵の中の私というのは、私の小さなころなんですが……。
 存在自体がちょっとねじ曲がっていて、いわゆるインナーチャイルドというものです。私は、「痛み」とか「病」とか「家族」とかの”仮想敵”と戦うことが大変だったので、放置されて分離した私の本来の一部で、小学校に上がることには忘れ去られています。

ピアノを弾く夢ばかり見る

 中学校のころから30代前半まで診てくれたお灸の先生の耳の良さは常軌を逸していました。たとえば、ボートレースとかではエンジンを聞くだけで、どの選手が勝つのか分かるくらいです。(だから、人が救えるんですが……)

 そんな先生から、そのころバブル崩壊後で、スピーカー設計にお金をかけられる最後の型だ、と、 その後の私は、音キチのお灸の先生から、P社のCDラジカセを紹介してもらいます。一台もらい受けました。やたら重いのです。そして、どんなにボリュームを大きくしても、音が繊細で割れないのです。
 たまたま、JAZZのピアノトリオのCDを一枚買っていて、どんなものだか評価を聞いてみて、「大丈夫だ」というので、そのまま聞き続けていました。ピアノとベースとドラムの空気感までよく再現できていました。
 このころ夢の中で、やたらとピアノばかり弾く夢を見るのを覚えています。習いもしないのによく指が動くのです。ひょっとすると、小さな私かもしれないのですが。

 ひょんなことから歌うようになって、20代後半からセッションに出始めました。でも、なぜ自分が歌っているのか解釈がつきませんでした。

 そうして、完全に体が参ってしまって、そこから、食養生で復帰してきます。

敵と戦うアイデンティティが食養生で溶ける

 私があまりにもギリギリまで頑張るのですっかり体が参ってしまって、乳がんと動脈瘤ができました。灸の先生の手で急場はしのげたものの、体質が病にまっすぐに向かっていると確信したので、食養生をして体を入れ替えることを決意します。

 食養生をやり始めてしばらくすると、私は「私」を忘れていく実感がありました。その忘れていく「私」というのは「何かに向かって戦う私」で、「病」「痛み」「社会」を「仮想敵」とみなして、戦い勝つことが生きることだというアイデンティティしか持ち合わせない「私」でした。それが、徹底した食養生で見事なまでに溶けていったのです。
「私」が溶けていったと同時に、仮想敵と戦うことが100%だった私は、どうやって生きていいのかさっぱりわからなくなったのです。

 ただ、妙な現象がありました。だんだん自分の中に誰かいることにも気が付きました。情報を収集するうちに、インナーチャイルドのようだと分かってきました。心理学的な視点では「内なる子供」。

祖母のエッセイとインナーチャイルドとの対話

 体調がだいぶ上向きになったころ、たまたま実家に帰っていたのですが、母がとある冊子を出してきました。母の祖母は非常に賢い趣味人で、和裁の腕が良く着物を作り、お茶の先生をして生計を立て、女手ひとつで4人の子供を育て上げた人でした。そして、自分には学がないからと、地元の川柳の会に入って川柳を作っていました。川柳はNHKの趣味講座で放送に乗ったこともあります。
 川柳の会では会報を出していて、その中で、祖母はエッセイを残していました。そこに、5歳の私が登場します。

「孫4号は5つになる。
 オルガンが大好きだけど家にはオルガンがない。
 ミシンの上でもテーブルの上でも弾く真似をする。
 最近、念願かなってオルガンを買ってもらった…」

 このエッセイを読んだときの私は、まったく知らない自分に初めて会った気分でした。ただ、なぜ歌を続けているのか、なんとなくわかった気がしました。本当はやりたかったんです、音楽を。30年くらい人生が一気に巻き戻ります。

 じゃ、どんな姿をしてるんだろうと、私はインナーチャイルドの姿を描いてみることにしました。私のリアルな5歳はショートカットでしたが、彼女はそうでないみたいでした。

当時描いた「ちいさな私」

対話の道具となるカードを面白半分で購入しました。 この絵を描いた後にカードを引いてみました。

「The inner connection 内なるつながり」

ピンとこなかったので2枚目を引きました。

「I love you 愛しています」

……ふざけやがって……。 いったいどんだけ苦労したと……。

……まぁいいや、もしかすると、君が機嫌が良ければ、私は元気だってことが分かったからね。

 私は、私の中の彼女を観察することにしました。

 植物とよく話す。お花とワンピースが好き。大きい音は嫌い。男の人も怖くて嫌い……(笑)。

 どのみち私はいろいろな意味で方向性を欠いていたので、試しに、彼女のしたいことをした方がいいかも。と、まず外見を彼女の好みに合わせてみることにしました。

 髪の毛は長い方が良い? ヒールのあるなし、どちらの靴が好き? お花は飾った方が良い?

 忙しいときに、ジャムセッションに歌いに出られないときは、なぜだか譜面を抱えた彼女が涙目でいました。
……わかったから、行くから!(笑)生音が良いんだね!

外見の変化と「そりゃそーだよね」

 この直後に、その昔一緒に似顔絵をやっていた仲間が近所のイベントに出るというので、挨拶がてらでかけました。すると、これまた一緒にやっていた似顔絵師(当時60代・元漁師)が遊びに来ていました。何年振りかでした。氏は、似顔絵業界では有名な「週刊朝日の似顔絵塾」の特待生で、出すと入選するのが当たり前な稀有な才能の持ち主でした。

 ある意味顔を見る専門家みたいなもんです。久しぶりの私の顔を、まじまじと見て、氏はこう言いました。
「顔が変わったね」
 さらに……
「目が違う」

 このころは、自分の着る服が全部変わっていったのを覚えています。とにかくいままでと一緒では落ち着かないのです。

 その後、いわゆるスピリチュアルな人にも縁ができたりします。それまで全然興味がなかったのに、天然石のお店にも出入りすることにもなりました。
 お店のスタッフにチャネリングできる女性がいました。いくらか彼女と話して、私の20年分(当時)の頸椎からの痛みの件の話になります。顔がちょっと引きつってましたけど、彼女の口からは、
……大変だったと思うけど……。全部、決まってたこと……みたいなんで……手放して……
 たぶん、私のリアルも感じ取れていたのでしょう。そんな彼女は、医者の娘だったりするわけですが……。

 たまにお坊さんの修行的なものを、実社会でやる人がいるらしくて、私がそのタイプだ、とのことでした。
 科学的な視点からでいうと、食養生と、その後、自分の体の稼働領域を広げるため、ヨガもトライしていましたで、おそらく脳幹がでかくなってる可能性があります。命の危機とか飢餓とかに直面すると、脳幹がおのずと大きくなることもあります。そうなると、こころの力や、精神世界的な力もおのずと大きくなります。当然、すべての選択肢が変化します。

 私は、私の小さなころの詳細を、思い出してみました。それで、次のようなことも思うのです。
 確かに私は、こころの「痛み」も身体の「痛み」も良く分からなかった。なら、ありったけ「痛み」を全部、「体験学習」してみたという見方もできるのかな、とね。

言わずに分かることもある

 それで、最初に話はもどるんです。
「ずっと見ていて分かったわ。これは、あなたね」

 カフェの女性店主には、私の中の小さな私のことは一切話していませんでした。伝わることもあるもんです。
 さすが、治療家さん……おっしゃる通りで……。

絵描きの描く絵には意味がある。ちなみにこの絵は女性店主のもとにまいりました。。。