痛みを忘れる音がある
楽器の共鳴音の中に、痛みを忘れることができる音があります。
私は、中学一年生の秋ごろ、教室に飾ってあった時計が頭に落ちて、頸椎3番4番を痛めました。成長期前だったので背骨が湾曲し一時内臓が育っていない状態でした。ただし、その後やたらめったら氣の強いお灸の先生のおかげで、湾曲が20年かかったけど正せました。しかし、今でも背骨の一部は内側に入ったまま。背骨がわりと凸凹ですが、支えはその後自力で鍛えた筋肉です。腰の筋肉が一般的な方と違い相当、背中側から始まっています。
20代前半は、首から下を常に切り落としたいくらい痛んでいました。どれくらい痛かったかというと、その後、鎖骨肋骨上部を2、3本くらい折れたのが気が付かなかったくらい。
人体構造の関係で、基本的には人の痛みは一つしか感じないシステムになっています。二か所同時の痛みは、脳は感じとれませんので、頸椎の方が脳に近いため、頸椎しか感じ取れなかったとも……。
いつしか、痛みの一時退去先として、生音の共鳴音を利用していました。いいスピーカーで聞くジャズも音の中にも、痛みを忘れることができる音が出ていたりします。リアルな場では、楽器を良く鳴らすことができるジャズプレーヤーを選んでいくことになります。それができる人っていうのは、普通に上級者なんですけどね。
40代になってから、ひょんなことで「神氣」の治療家に出会いました。「神氣」は、気功の一種で日本古くからあるものです。(ちなみに、日本からハワイ。ハワイからNYで、海外で出ていって帰ってきたものが、レイキ:霊気。)この治療家さんに、「神氣 」をなぜ知ってるか、驚かれていました。自力で体をよくする情報をたどっていくうちに、気功関連の情報には出会っていたし、自分も多少は氣を扱えるようになっていましたので。経緯をお話すると、
「今痛いですか?」
……はいと、言うことで、そのとき、ちょっとだけ首を診てもらいました。
その後、この治療家さんのお師匠さんの勉強会に出向きました。ようするに私は、被験者で先生方の練習台を兼ねているのですが……。行くと大先生の資格免状が、多岐にわたっているのが良く分かりました。確かに氣功だけじゃ。物理的な体内構造も分かってる方が良く、人体を診るには足らないわけか、と納得しました。
その時もう一人、お試しの患者さんがいました。私よりちょっと上くらいに見える男性で、不調を抱えていました。その男性がいうには、大事故で入院して3日くらい意識が戻ってこなかったことがあるそうなのです。それで、まずどちらを最初に施術するか、という話になります。私を連れてきた治療家は、私を見てこう言いました。
「この人の方がひどいです」
……え?
私は、男性の方が体の状態がひどいと思っていました。だって私、入院してないし……みたいな。
とりあえず、大先生の見立てと施術ってことで、施術台にあおむけになり、頸椎施術。それがすむと、座位で先生3、4人がかりで、全身を一挙に調整することになりました。皆さん得意分野をお持ちのようで、そのうち1人の治療家さんには、足首から緩めてもらいました。ありがたいことです。
翌日、歩くと驚きました。感覚的にまっすぐで……。
ただ、痛みがフローして麻痺になったものが治るときには、痛みを通ってから正常に戻ります。そのため、痛みとも何とも言えない倦怠感で、この後まともに働く気力がなくなりました。一応、仕事の属性としてはクリエイティブ系なのですが、締め切りまでのストレスをとてもじゃないけどクリアできそうにないし、新しく仕事を取る気力もありませんでした。
それでも、前に比べると体は動くので、やりたいことが少しできる感じもしました。このまま朽ちて果てるものどうかと思うので、ハタチくらいのころにできなかった、たとえば学生さんがやたらめったらバイトを掛け持ちしたりするやつ。あれをやりたいと思い立ち、なんかいろいろし始めました。何しろ東京なので日雇い派遣から探せばあります。
ただハタチの頃と違い、純粋な労働が全部意味が違ってたってことにもなるんですけどね……。あいにく、3年間リスクマネジメントのコンサル事務所にいた関係上、無駄に経営目線が育っていました。会社の状況は瞬時に分かるのにも驚きました。会社の長所も狙いも分かっちゃいますから、経営見学になっちゃうっていう……。不思議なもんだ。
この間、「氣」そのものが大きくなっていたようで、この時の勉強会の先生に3カ月後くらいに診てもらうんですけど、その治療家の先生がおっしゃいました。足首から整えてくれた治療家さんでした。
「藤田さんて、こんなに大きかったっけ?」
よほど、勉強会以前の私というのは、エネルギー的に小さくなっていたようなのでした。
そんな中、知り合いのバスガイドの派遣会社の女性社長から「ちょっと難しい仕事なんだけど、晴子さんならできると思って。手伝ってくれないかな」と話がありました。障碍児者を受け入れる特別支援学校への送迎バスの添乗員さん。
過去、障害を持った方のイベントの実行委員をやったことがあるので、詳しいワケではないけど、全然、知らないわけでもかったので、大丈夫かな、と思って引き受けました。
送迎バスに修行僧が乗り込んできた気がした
送迎バスの運転は、普通、現役を引退した高齢の運転手さんがやることがほとんどです。添乗員さんもほとんどの方が高齢で、ときどき体調が悪いとか病院に行きますとかいうので、抜けることがありました。私がたのまれたのは、それの穴埋めだったのです。
結果、若い世代の私は、あちこちに配属されることになり、最終的には300人くらいの子供たちに出会うことになる訳ですが……。
限りなくあちこちの地域のバスに移動していたのですが、その中で2カ月という割と長い期間、次の担当さんが見つかるまでのピンチヒッターで入った送迎バスがありました。そこに、小さな小児麻痺の女の子がいました。
小児麻痺は全身が硬直して内臓も停止し、長くても20代前半くらいで死に至ります。彼女は、中学生だったけど体の大きさは小学生。小児麻痺の発症が小学生なんだろうと推測されます。
乗り込んでくるところからシャンシャンと、通学用のナップサックについた鈴が揺れて鳴るのが聞こえます。その鈴の音が、お坊さんの持つ錫杖の音のように聞こえました。女の子は、麻痺があって言葉が自由でない変わりに、小さい体から唸り声が聞こえます。当時、偶然、小児麻痺の子供たちがどんな痛みをもっているのか、お話を聞いていました。
少しの移動でも全身に硬直があるので痛む。それでうなりながらバスに乗り込んでくる様子がまるで修行僧のようで、なんて修行中にいる方なんだというのが、女の子に対する第一印象でした。
女の子と鈴とスキャット
ナップサックには、小さな鈴が二つ付いていて、彼女のお気に入りはそのうちの一つでした。バスの席につくと、普通はナップサックを棚に置いてシートベルトをするのだけど、彼女はナップサックを棚に置くのを許しませんでした。じゃ、シートベルトをしてから、バックはお膝にしっかり抱えてね、ってなるワケですが。
女の子はバックを抱え込むようにして、鈴をひたすら耳に近づけていました。よく、響きがある方。
そうね、そっちの鈴の方が良く”鳴る”……。
「こっちの方が痛みがなくなるよね?」
と聞くと、ハッとした表情をしました。
彼女は、ときどきその鈴を「もっと鳴って」と、自分で鳴らそうとしていた。麻痺があるのでうまく自分の動きをコントロールできない。ぎゅっと鈴をつかんでしまう。それは鳴らない。響きは余裕がないと……鳴らないと悔しいので、引きちぎりそうになる。
……頑固なんだな……。
彼女には自傷行為があり、細い腕や小さな手にたくさん傷がある。女の子は、結構な勢いで自分をグーで殴り続ける。ただ、気持ちは私は良く分かりました。これに近いことを私もやり続けていたことがあり、おそらく、行為は痛みを避けるためでは、と私は思いました。
人の痛みは、機能的に一か所しか感じない。新しい刺激を与えると、そちらに集中して、いつもの痛みから感覚がそれる。その実は、常に体が痛いんです。
この送迎バスは小さく、子供たちは割と大きくておとなしい子が多かったので、ほかの子たちが乗り込んで落ち着いた後は、彼女のそばにいる時間が割けました。20人以上くらいになってくると、誰かひとりは靴下脱いで投げたり、上着を脱いで裸になっちゃったりする子がいて、そのお世話に時間を割かれるってもんですが……。
「痛みが楽になるように、自分で自分を殴ってるよね」
聞くと彼女はハッとしていました。
「そんなことしても痛みはなくならない。
でも、よく頑張ってると思う。だから、自分を”よしよし”してあげて」
そんなこと言われたのは、初めてだったんだろう。そういうと、彼女は自分の小さな腕で自分をぎゅっとしました。いつも痛みでしかめっ面の顔が、笑うととてもかわいらしいのです。
人の言うことをあまり聞かない子みたい(痛いから無理)で、ここから少し先生の言うことを聞いて褒められたみたいだった。少しはお役に立てたか、とはいえ油断はできないので。
ある日、自傷がおさまらないときがありました。ふと思い出しました。あまりにつらいと人格が乖離する場合があります。それで聞いてみました。
「止められないのね」
こくんと、彼女がうなずいた。
「誰か、あなたの中にいるの?」
こくんと、再び彼女はうなずきました。
「その人があなたを打つのね……。
じゃ、仕方ない。そのままでいいよ」と、私は言いました。
となりで、麻痺があり言葉を発しない男の子が、こちらを見てにやりとしました。男の子の目には知性がはっきりと見て取れます。「そうね。あなたは分かる……」とつい一言。……君たちはすごい子だよ、とも。ただ、よだれはかいてるんだけどなぁ……と、私は頭をかきました。
その日、彼女は涙を流しながらバスから降りて、学校に行きました。迎えに来た担当の先生は「どうしちゃったの」と、慣れたように連れていきました。
そう。私は、彼女の痛みと一緒に戦えるってワケじゃない。さらに、解決する問題でもない。何しろ、私は送迎バスの中でしかいないし、次の人が見つかったらさよならする無責任な立場だ。
そういえば、彼女の、良く鳴ってた方の鈴はなくしたみたい。あのまま、引きちぎってなくしちゃったんだろうな。彼女には大事だと思うけど、大人は多分わからないから捨てられちゃったんだろう。
とはいえ、行きの30分かくらい、何か気分をそらせる手段はないか……。
となるとあれは……。
事例としては一件、慰問で行って歌った、老健施設での話。あれは、若干おそめのスイングでしたか。私も、たまたまボイトレ後で完全調整された状態で調子がよろしく、あの時は車いすの男性の方涙を流されてたな。
「あなたの歌は心に響く……」
と、コメントをいただいた。私の歌を聞いていた車いすの男性。聴いているうちに、麻痺で動かないはずの片腕が、動き始めたことがあったのです。まさかね、とは、私も思ったけど。職員さんの反応から、どうやら本当らしい。それくらいのエネルギーはあるというのが事実であるなら……。
彼女が乗り込んできた日、彼女のそばに行きました。
今日の具合は良さそう。とはいえ、レディのお立場に対応する楽曲を私は知らない。それで、当方の持ちネタとして、スキャットってのがあるんですが、どうでしょう。
私はリズムをとり、小声でスキャットを始めた。当然、ミディアムスイング。しばらく聞いているうち、彼女は笑顔になって体を揺らし始めた。
そそ。楽しいの。
痛いのに集中しているよりよほど良いでしょう。痛みの気のそらし方が分かる。たぶん、少し耳が良く聞こえる、あの鈴の音の良さが分かる。
そこから、私はタイミングが合えば、時々彼女に向かってセッションを始めることにした。さすがに自傷行為が出てるときは難しかったけど。本当はかわいらしい顔が、ちょっとでも笑顔になればいいやと。
思えば、無責任に過ぎ去るだけの人だけど、少しだけ一緒にいたのは事実で。痛みに効果のある音があるね、というのは、共有できたワケ。
あの時期はなんだっけね、って思うのだけど、ちょうど、今時分みたく、本当に底冷えのする日が続いていましたっけね。