日々雑記|古民家の実家で思うこと03…樹齢47年

樹齢47年は、まだ使えない

 今まですっかり忘れていたんですが、私が生まれたときに植えられた杉の木が我が家の山にはあります。

 何にするって、家の建材にする用です。私の記憶が正しければ、20本か30本くらいあったように覚えているんですが。田舎の古い農家というのは、山と畑と田んぼはセットで、田んぼの水を作り出すのに里山を作り、自分たちの住む家の建材も自分の山でどうにかしていたのです。

 杉とかヒノキも裏山に植えてます。

 ということで、その杉の樹齢は47年。実際に建材にするには、樹齢が130年から150年くらいあるとよいので、これは、まだ若いです。そのため、私の孫くらいの世代で使うのにちょうどよいです。参考まで、樹齢130年からの建材の仕方は下図のようなもよう。

「木を読む」 林 以一(最後の江戸木挽き職人)著より

 その昔は、大きな木というのは当たり前で、木材を切り出す木挽きと呼ばれる職業は非常に潤っていました。木挽きの持つ大鋸(おが)は、カンナが必要ないくらいにキレイに切れます。

くしくも実家の古民家は築95年と曾祖父あたりが建て、曾祖父の時点では姿も形もない家族に残っている状態です。それにしても、130年とか150年とか、こんなに世代を超えて待ってる文化だと、1000年とかはあっという間にたってしまいます。

文化の分断は戦争

 しかし、これがどうしてすたれたか。

 理由の一つが戦争ですね。よく、60年前くらいの方が緑が豊かで、今の方が緑が貧しいという考えかたをほとんどの方はしていると思います。
 確かに、高層ビルや人が集中している都市部などは確かに貧しのですが、全体的に見ると、そうでもないのです。あ戦後直後というのは日本列島全体でも非常に緑が貧しい時期になります。実際には、戦中で木材がどんどん拠出されていた関係で、はげ山が増えていたのです。

 20代のころ取材先で、昭和30年ごろの空中写真を拝見しましたがはげ山になっている箇所が多く、聞くと、当時は山の保水力が弱くなっているため、大雨に襲われると、しょっちゅうがけ崩れが起こっていたとのことでした。

 その保水力が弱くなった状態から、まず杉から植えていき、雑木林にしていくというのは、年月のかかることです。植林には順番がありまず針葉樹が植えられます。

 花粉症が問題視されていますが、以前はほとんどなかった病気なので、食生活で腸内環境が悪化しているのも加味した方が良いでしょう。自分の体は自分で気を付けることができますが、地域の全体の山などは一人の力ではどうしようもありません。

 植林文化は、日本独自の文化で砂を止める「砂防」という言葉は、「柔道」などと同じように国際用語になっています。どうやって水を作りだすか、というと、日本人なら、植林して豊になった森が雨水を蓄えて、豊かな水源を生み出すことを知っていることでしょう。

 ちなみに、戦中の木材拠出の手が届かなった山奥の森林を持っている農家さんが知人でいますが、樹齢100年とか200年とかの樹木が普通に生えています。

2010年10月某所を訪ねる

以下、参考資料。