日々雑記|病は忘れて治るもの

この間、所要で実家に少し帰りまして。ふと、いろいろと思い出したを徒然と。

 思えば、東京に出てきて10年くらい経つんですけど、ほとんどあったことは覚えてないんですよね、本当に。なんというか、データとしてはストックしてきたのですが、すべてが一本につながっていないような感じがします。

 東京に出てくるころの私といえば、日本医療的な医療基準では乳がん持ちで、腎臓に1センチ程度の異形細胞がある状態です。かつ、13歳でやった頸椎損傷および20台後半の鎖骨肋骨の骨折放置で神経配置に異常があったうえ、現場で酷使した右腕が麻痺寸前の状態でした。そのため、「死にに行かせたのか」と、主治医替わりのお灸の先生に母が素直に言われていた、と言う感じでしたけど。

 東京は、とりあえず頸椎に負担がかかる車移動がゼロで、電車かバスなのが上京直後はありがたかったですね。現在は内臓的な問題がクリアし、肋間神経の配置こそ先生に訂正してもらいましたが、腕の神経系も頸椎神経系は自分で治しています(笑)。車移動もずいぶん平気になっています。

 私の過去の状態をお話しすると、「大変ですね」とか「大変な状況で……」と、反応されるお優しい方が時折いるのですが、私としては、他愛のないことになってしまいます。以前は、私は死にゆく人をうらやましく思っていたタイプでしたけど、確かに。今は違い、まだ楽しみたいのだけど、と思っています。
 何しろ、私は現在、楽な状態になっているわけで先しか見ていません。喉元過ぎれば、というやつ。
 ただ、いまだ運航が微妙な時もあるので、少し気を付けながら、というのは事実なのですが。

杉並で見つけた、白いヒガンバナ

 難病の方に関しては、個人的には「死ぬ理由がわかってよかったですね」と申し上げることしかないです。世の中には、理由すらわからずにあっけらかんと死んでいく人も多いですから。
 「死ぬまで生きる」のは誰もが避けられない事実で、「なら、どう生きるか」ということに集中する方がよほど建設的。
 なるべく、楽しい人と一緒にいる。なるべく、運のいい人と一緒にいるとか。なるべく、自分が心地よいと思う場所に行くとか。

 ふと、昔を思うと、自分の話なのですが、自分の話でない気もして、病がよくなる時というのは、最終的には「病である自分」を忘れることだろうと今では思っています。