わらべ唄522回・そんな”無駄(?)”をすることもある…

わらべ522回目は「お月さんなんぼ」

 中国新聞山口県版の防長路という面で、「ふるさとのわらべ唄(著者:戎谷和修)」の挿絵を2007年からやっています。毎回一曲、わらべ唄が取り上げられています。2020年末あたりで520回を超えました。この回のころは、山口県東部の瀬戸内の島の生活を中心のお話がすすんでいました。陸路と違い、海の道となると、お隣の愛媛県の島々との交流があったりします。
 島の場所によっては、本州より四国の方が近い場所もあります。

わらべ唄511回目「岩国市柱島で聞いた① ヨーイヤマカセ ヤーホーコラエー

522回の唄は「お月さんなんぼ」で、歌詞は次のような内容です。


お月さまなんぼ 十三九つ 
そりゃまだ若いよ 若い年ゃぞうり
ぞうりめをつけて 
はなたのおびを腰にシャット結んで
何処へ行く何処へ行く 
出石(いずし)へ参る 
出石の宮にゃ 尾のない鳥と尾のある鳥が
油どっくりをくわえて あちーとびピーこっちーとびピー♪
 

2020年12月18日付 中国新聞 防長路「ふるさとのわらべ唄」522回
周防大島町油宇・伊保田で聞いた⑥ お月さんなんぼ
しつこく、山口県はここです。
この歌の採取された場所は、周防大島町という瀬戸内に浮かぶ島です。

「ふるさとのわらべ唄」の世界観

 昔昔のその昔。……といっても、原稿に出てくる「わらべ唄」の世界は、そんなに昔じゃないです。60年くらい前。それでも、ずいぶん昔のような印象も私は持ちます。

 現在の令和の日本人とちょっと遠くに思う一つのことのが、信仰心です。この辺りは、古典の書籍で行くと、「忘れられた日本人」とか「きけわだつみのこえ」とか「山びこ学校」などの肌感とよく似ています。原稿内で、地域のおじいちゃんおばあちゃんが、自然と語られる姿がなんとも日本人らしいなと思ってしまいます。

 日本人は宗教観というものが気薄いように感じますが、キリスト教やイスラム教などの一神教的な西洋的な観点とは少し違いますよね。土着的な観念も存在しています。
 とくに宗教と言わないけども、日本人であるなら、年末には必ず除夜の鐘を突いたり、年始には初詣に出たり、お雑煮を食べ、時あらば神社に行き、絵馬に願い事を書いたりしてします。これを信仰と言わずに何と言うのでしょう。

宗教的なテーマパーク

 由緒正しい神社仏閣は、その参拝者をもてなす意味も含めて、周辺に町が形成されています。ひと昔前はきっと、今でいうところのテーマパーク、ディズニーランドなどの感覚であったのではと私は思っています。関東圏だと、明治神宮も入口から本堂まではかなり距離があります。鹿島神宮などは隔世の感があり、昔がそのまま残っているので、個人的に好きです。

 522回目の原稿は「お月さんなんぼ」。瀬戸内の島々で生きる人の話がこのころは続きました。挿絵は、記事に合わせるか、歌詞で合わせるかどうしようかと思うところを歌詞合わせにしました。

♪ はなたのおびを腰にシャット結んで
何処へ行く何処へ行く 
出石(いずし)へ参る 
出石の宮にゃ 尾のない鳥と尾のある鳥が
油どっくりをくわえて あちーとびピーこっちーとびピー♪
 

 歌詞の中で”出石(いずし)の宮”、というのが出てくるのです。 
 「宮」は何となく神社な気がするけど、記事中に「出石の観音様」とあるのでお寺だろうと推測されるわけです。出石はほかにも別の地域にも同じ地名があって、手元の情報だと実際の海の移動に無理があるような気がします。当時は櫓で漕いでいきますからね。問い合わせてみると、歌詞の出石は、「愛媛県大洲市出石」。調べると、山頂が丸ごとお寺のテーマパークみたいになってたみたいです。
 お宮に参るのは、お出かけには良いのかもしれません。

ご本尊は千手観音菩薩

 ご本尊は、金色の千手観音菩薩のよう。何年かに一度しか御開帳の機会がなく、なかなか出会えないとのこと。
 ところで、千手観音菩薩は……合掌している手を除いた多くの人を助けるため、たしか、持ち物がたくさんある……と思えば描いたことはないから、持物はどんなものかなぁ、と下調べ……。
 挿絵の中では、メインはこちらではないのですが……。ズラリをこんな感じか……!

 それにしても、千手観音菩薩は、とても多くの仕事ができるようです。一つの手で25人を救うことができるそうです。持物は約40種類。観音菩薩の中でも日本で変化した菩薩様。菩薩の仲間としては、地蔵菩薩、弥勒菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩などの仏様がいらっしゃいます。

 菩薩様というのは、仏教では最終形態の如来になる前のお姿で、悟りには至ることができるのだけど、現在ご修行中の身の仏様になります。多くは、人をお救いになります。

 面白いことに、合掌だけとか、何も持たない「施無畏印」を示し、特に持ち物はしていない手もあります。
 合掌をしている菩薩様は千手観音菩薩以外にはいないようで、多くの御手を表現されていなくても、合掌をしていれば「千手観音」と判断できるそうです。

 ふむふむと下調べをしたところで、これらは絵にしません(笑)。何しろ、画面には入らないわ、主題とずれるしですしね。
 ただ、なんとなく当時の人の「ありがたいな」という人の気持ちをよく思うことはできます。これで櫓をこいで、四国にわたり山の上の霊験あらたかなお寺に行くんです。とてもうれしそうに思うじゃないですか。


お月さまなんぼ 十三九つ 
そりゃまだ若いよ 若い年ゃぞうり
ぞうりめをつけて 
はなたのおびを腰にシャット結んで
何処へ行く何処へ行く 
出石(いずし)へ参る 
出石の宮にゃ 尾のない鳥と尾のある鳥が
油どっくりをくわえて あちーとびピーこっちーとびピー♪
 

2020年12月18日付 中国新聞 防長路「ふるさとのわらべ唄」522回
周防大島町油宇・伊保田で聞いた⑥ お月さんなんぼ

 正直こんな感じの挿絵に。千手観音様、まともに描いてない! 上に、思えば日ごろは千手観音観音には会わないんだから、描かなくても良かったのでは……? とか、自分突込みが続く挿絵のひとつです。

 ……仏様の教養が、一つ身についたと思うことにしています。