帰省ついでに、田舎の良いトコ悪いトコ
1.コロナ禍でも帰省
コロナ禍でもこっそり帰省をしておりました。
とりあえず、関係サロン(……というか本店におりますが……)でPCR検査陽性から1日1ℓ摂取が約4日で、陰性になる(個人差あり。症例は現在200件以上。予防も可)プラズマウォーターを扱っているので、1箱を先に送って帰りました。
帰省中は、家からあまり出ず、行くところといえば、実家から車で5分の近所の三丘(みつお)温泉。好きなジャズは、ライブとセッションは近所の感染対策をされているバーに一度くらいかな。
都会は、同じアパートでもお隣さんは無視でよかったりしますが、田舎の事情はちょっと違います。私が東京から帰ると知ると、
「帰省は、控えてもらえないか?」
と、言われるワケですが、率直に、実家に母がいるので帰ります。
2.村八分は悪いことではない
個人情報がないと人は救えない
よくよく、田舎は変な事があると、その事柄があった家が、村八分になるやら、ならないやらと問題になります。
むろん、今の時代は、公的なところと私的なところを分けるべきだという考えはありますが、正直なところ、それは日本の昔からの考えであるか、というとそうでないとも個人的には感じております。
ふつうに考えて、個人情報が云々というより、個人情報がないと基本的に人の命や人生は救えません。当然、現在では、バランスは必要でそれが難しいというのは承知なのですが……。
ちなみに、個人情報保護法は、「企業が、ビジネス発案、その後の展開や拡大をするために、ここまでは個人情報を利用して良いですよ」と、明記した法律で、マスコミをはじめ国民全体が間違えて解釈している気がしますね。
田舎の人は、目が効きます
田舎の人は、目が効くんです。
ことに、古くから農家の人は、野山の様子や、稲の様子、野菜など細かいところをつぶさに見ていくのが常です。
そうした、変化に対する感度の高い人は、一般的に「遊べ」といっても、どうしてよいのかわかりません。常に、雑草とか田畑や山とかを気にかけていますから。そして、自然相手なので日頃と違うの箇所には気づきやすいです。
ただ、最近の人で、社会学的な実地の学がない人は、田舎にいてもこの視点はつかず、危機感性は微妙なので注意してください。
田舎の集落は、リスクマネジメントできています
田舎の集落の情報ネットワークは非常に強固です。対応するのは基本的に危機要因「リスク」であるため、
「あの家の誰々ちゃんが、云々……」
これは、リスク調査後の情報だととらえるのが最適です。こうしてコミュニケーションをとることで、危機を回避しようとしているのです。
たとえば、
「あの家のご主人、ここのところ痴ほう症で介護が大変みたいよ」
「そうじゃね。ご主人、体が大きいので奥さんも介護が大変じゃろ」
と、いうのも言う風に……。
ほんのちょっとした情報ですが、その奥さんがご主人の重さで介護の対応できないとか、何かがあった時に、余裕がある人は手助けできます。
そもそも昔は、集落に出入りも少なかったですから、泥棒みたいな人が来てもすぐに分かります。とりあえず、玄関に鍵を閉めないので……
「ごめんくださ~い」
とか、
「〇〇ちゃん、遊びましょ~」
とか、突然ガラガラ開けても大丈夫だったですね、思えば……。(田舎の家の玄関は、引き戸多い)
最近は、素性もわからない人が、突然引っ越ししてきたりして、農家の野菜泥棒をしても「ヘ」とも思ってないようですが。
(そこ、おそらく1千年くらい前に、うちの先祖が開墾したところなんじゃけどね。暇があったら、適当にさらします)
こうした集落のとりまとめをする人というは、いろいろな意味で頭が良いタイプだと良いです。
はっきり言ってしまえば、田舎のシステムが悪いというより、扱う人の「頭が悪い」ということなんですよね。ここは、間違えてほしくないです。
3.三世代もまた良きなり
田舎の温泉施設で見ること
日本国憲法には夫婦の記載があっても、家族の記載がないというのは、一部でよく知られており、問題だと言ってる人もいます。
よくよく、じいちゃんばあちゃんたちは、頑固な人ばかりで、同居するの大変なのよとも言われますが、じいちゃんばあちゃんは、そんな人ばかりではないですよね。
都会にいましても、正直、じいちゃんばあちゃんと同居の人の方が、人間的に変化の容量の受け入れが大きいように思います。
実家から車で5分の温泉施設で見たこと。
おばあちゃんが2人と、娘と孫。足腰が悪いばあちゃんの足が滑りそうなのに気づいたお孫さんが、手を引いてらしたのね。
こうしたこと、リアルに対面していないと、できませんから。