最近は、施術も手掛けるようになった関係から、ついつい、昔の話を振り返ることになってもいます。
お客さまには、穀物菜食を始めたころの10年くらいまえの話を役立ちそうなところのみピックアップすることがあるのですが、そういえば、当時わたしは何を考えていたのかとも思ったワケです。
おおよそ10年前のブログ記事を、当時の文章では、ぶっ飛びすぎだったので、リライト。
人の境目、地の境目。
田舎でも家が百姓か、漁師かで発想に随分違いがある。
農家の発想の単位は1年、土地の開発となると、10年、20年は当たり前。とにかくコツコツ、物事を積み重ね、森を作り自然と対話する。漁師は、一発勝負。ザーッといってバーッ獲る。漁場の知識と天運をも味方にもつける瞬時の判断力と実行力が必要だが全体的にざっくりしている。
「一年に一度しか収穫がないということは 一生かけてもそれだけしか収入がないということですから、農業は辞めました」
漁師の血を引き継ぐ彼はそう言った。確かに、彼のいう農業のやり方では、収入的で見るとやめるのも正解のひとつなのだけど。
ベタな百姓の娘である私は、なぜだか一瞬、彼の首を絞めようと思った。
なんとうか、…身体の中を走る血がその発想を本能的に許さないのである。
とある田舎の市の中で、境に田畑をコツコツ作る農家と、勝負師の猟師町にと峠を挟んで分かれるところがある。
地の人の話によると、昔は、祭りのたびにその峠で喧嘩が絶えなかったらしい。何しろ人的な気質が合わない。さすがに、今はもう車が行き来したりして文化も混ざって、そうではないのだけど……。
今、「生まれた地で生きる」っていうことが少なくなり、何等かの理由で都会で生きることになり、あたかも都会生活がステータスの一種のように言われる。
都会が、
「うらやましい」とか。
「あこがれる」とか。
こうした胆略的なものの考え方の人(もしくは、他人に与えらえた価値観を丸呑みにしている人)は、たいてい、よくよく聞いていみると、人間の身体すら、人間の思うように20、30年したら簡単に変わるなどということを言っていたりする。病気も、一つの成分の薬でどうにか成果が出てくるようだと思い込んでいるようでもある。
それはさも、世の中を細かく分解分析しただけで、世の中を制覇したかのようだ。細かすぎて狭いと隣の部屋で何をやっているのかわからないかったり、その細かいことと細かいことが相反したりしたりもするものだ。
教育もそのようになっている。一つの作られた階段に乗れという。
コンクリートとアスファルトが便利だと言う。そして食べ物は、企業が資本主義のために作った添加物を、さもおいしいと「主食」にしたりもする。
ただ、そんな人も血をたどっていくと、少なからず百姓で、土を耕していたことだろうと思う。
食べ物も自らの思うところも他人の利に利用されていれば、自らの決断も運命も生きることもふらふらでしょう、と思う。
今の日本政府が、日本国民全体の状態だと素直に思う。
「西洋の諺に 愚民の上に苛(から)き政府ありとはこの事なり
こは政府の苛きにあらず、愚民の自ら招く災いなり」(学問のすゝめ)から
グローバルだ、国際社会だ、などと……そんなへっぴり腰では、肉食の狩猟民族に対抗できないでしょ。普通に。
いや、本当は対抗するという意識がすでにズレている。私達日本人は瑞穂の国の人。世界に、和と調和を与えることができる。
ただし、和とか調和とかを与えることができるって、まず、その地でしっかりと生きる必要があると私は思っている。
それで何をするかといえば、ご飯をちゃんと食べないととも思ったりもするのだ。できればその地でできたものを。
とはいえ、首都東京にて……
とはいえ、わたしは現在東京に住んでおりまして。かれこれ9年ですが(笑)
食べるものってね、大事なんですよね。