- 目次:
- 1.実家の畑の成り物が一番
- 実家からくる食べ物で元気になるのは……
- 地生えの小豆
- 土地にも個性がある
- 2.田舎の人は「何もない」と言い過ぎる
- 身土不二の意味
- 田舎の人は「何もない」と言い過ぎる
- 3.田舎のお野菜あれこれ
- 関東と関西で野菜は違う
- 関東と関西で野菜は違う
- 4.日本全国、農家に伝わっているものは尊い
1.実家の畑の成り物が一番
実家からくる食べ物で元気になるのは……
東京に来てから2、3年は、今ほど体は良くなってなかったので、環境がなじまず、風邪は引きやすく、体が再びダウン気味で苦労をしました。しかし、時々母が畑でとれたものを送ってきてくれていて、それをお料理して食べた日はなんとなく元気が出るのです。
食養生レシピでつくるお料理は、その時の体調にあって、野菜のうまみが出ていれば、お味噌汁一杯で発汗します。エスニックの料理とか、やたらと辛い食事ならまだしも、普通の食事で発汗するのは理解できないかもしれませんが、本当に発汗するんです。
本来の食事には力があります。
私が一番初めにした本の仕事で、挿絵を担当したアーユルヴェーダの本には、口にする食べ物は生まれ育った地の半径2㎞圏内の食材が望ましいと記されていました。
それを踏まえると、母が送ってくれた野菜は2km圏内の食材の強さかと、関東に来て本当に実感することが多かったです。私の遺伝子は古いものを受けついており、その地の食べ物で元気が出ないわけないな、と離れると改めて思いました。 ちなみに、温泉もこれに属するようで、実家から2~3kmの地に温泉が出ていて、私は帰省のたびに行くのですが、正直なところ、箱根の湯より私には癒しの効果があるのです。
うちのご先祖様は、この温泉を見越して、住む地を選んでいたとしたら、相当すごいことです。
地生えの小豆
お正月、母が親戚のうちで集まるから、おこわを炊こうと準備していました。
なぜかわざわざ、昔、おもちを搗く前にもち米を蒸した大きな蒸し器を取り出して火をつけていました。
亡くなった父が元気だったころは、家の裏にある石臼で餅つきをするのが我が家の年末の行事でした。ついたお餅は即座に丸められて、縁側と床の間一面に並べられます。
それで、久しぶりの蒸し器の登場は、当時の餅つきでつきたてのお餅をホクホク食べる記憶がよみがえって、うれしい限りでした。
この時、おこわで使った小豆は、うちに代々伝わる小豆です。特に育てているワケでなく、その辺に勝手に生えてるもので、地生えの小豆。
お店で買う小豆より、色が濃く真っ黒です。
土地にも個性がある
一般的には、あまり意識されてはいないのですが、土にも個性があります。人のやることに得意不得意があるように、土地が得意とする作物に得意不得意があります。たとえば、根物が得意とか、葉物が合っているとか。
以前、自然農を実践している人のお宅に訪問して、いろいろとお話をお伺いしました。不耕農で自然栽培をするときには、その土地に何が適しているのか、最初はいろんな種をばらまいてみると良いのだと思います。育ててみないと分からないそうなのです。
それをふまえますと、この小豆はうちの土地に最高に合っているのでしょう。何しろ、「勝手に生えている」ので……。
それにしても、どれくらい長い間、代々うちの食卓を飾ってくれたのかというと、よくわからないのですが……。
ちなみに、こうした自家栽培は、種子法で罰せられません。
そもそも、「とちおとめ」など品種のイチゴが不当に韓国に渡ったのがきっかけでできた法律で、うちのような家庭栽培には適応されません。
2.田舎の人は「何もない」と言い過ぎる
身土不二の意味
食養生、正食、マクロビオティックの中で言われているのが、「身土不二」の観点。体とその地(環境)はつながっている、という点です。東洋医学にも医食同源という言葉がありますが、土地の距離感そのものまではとらえられてないですね。
身土不二(しんどふじ)という言葉は明治時代に生まれた言葉です。
もともとは、身土不二(しんどふに)という仏教用語で、身はこれまでの行為の結果をあらわし、土は身を置いている環境を表します。総じて「因果応報」にも通じる意味になります。
明治時代に、陸軍薬剤監を務めた薬剤師で医師の石塚左玄が、食事で病気を治していました。 まだ栄養学が認知されていないころ、 玄米・食養生、現在のマクロビオティックまでの流れの元祖です。
田舎の人は「何もない」と言い過ぎる
母が言うんですよね。
「何もなくって」……。
年末のこの日は、「今から、春菊を出しに行くの」と母が言んです。
近場の道の駅に生産者のお店があって、生産者として母は採れた野菜を出しています。実家に帰省した翌日、販売所の年末最終日だったこの日は、結局地元の人たちの多くが年末で帰省した親族を相手したり、年末の準備があるので、商品棚が空っぽだというのです。それで急遽、畑ですっかり伸び切っている春菊を採って出すわ、と言ったのでした。
一人の手より二人の手の方が早いかと、手伝うのですが……。記憶にあるうちの春菊は、もっと背が低いはずなんだけどなぁ……。ずいぶん伸びたものです。
少ないですが、20袋分くらいを準備して、売り場へ。値段は、売り場の担当者さんもお客さんに応じて決めたりします。この日は、出した直後に半額に(あぁ……笑)。ただ、無事にすべて売り切れ。売上情報は1日3度くらいメールで母のスマホに届きます。
3.田舎のお野菜あれこれ
関東と関西で野菜は違う
関東の春菊、西日本の春菊は違います。
関西の春菊は「菊菜(きくな)」とも呼ばれています。関東の春菊に比べると葉が全体が丸くて丈も短いのが特徴です。関東の菊菜は、葉がシュッとしていますね(笑)。
春菊は、キク科シュンギク属。同じキク科の植物で、ヨモギがありますが、こちらはヨモギ属。西日本の春菊は、ヨモギに根性がついて、でっかくなったバージョンみたいな感じがしますね(属が違いますが……)。東日本の春菊は、小松菜寄りという感じがしますね(……)。
関東の春菊は、茎も茎もしっかりしているので、春菊天とかにして、蕎麦のトッピングになります。西日本の春菊は枝葉も細いために、てんぷらにして揚げて食べようという発想にならない感じですね。ただ、鍋用としては、春菊はどこまで入れてもOKなところは西東共通しているところじゃないかな、と思います。
よく食養生レシピで簡単なもので、フライパンに油揚げ一枚刻んで、その上に適量青菜を載せて、お醤油大さじ一杯回し入れて、蓋をして中火で、野菜に火が通るまで待つ、というのをやります(混ぜないのが基本です)。これを、春菊でやろうと思ったのは、東京に来てからです。
身土不二の、「郷に入れば郷に従え」という意味合いも感じます。
4.日本全国、農家に伝わっているものは尊い
そうして、帰省にお弁当に、前述の地生えのおこわ持たされるワケですが、やっぱり食べると、なんとも力が出ますね。
私も年を重ねてきましたので、体も、20代30代のようにごまかしがきかなくなってきたのかな、とも感じるところですが(笑)。
日本全国、百姓が知らずに守り伝えてきたものというのは、尊いものが多いです。
そんなワケで、母はよく「うちには何もなくて」というのですが、山ほど材料は「あるな」と、私自身は思っているのでした。ご先祖様のありがたさと、それを守ってくれている母のありがたみを感じます。
たまたま、今回は古い実家の我が家の話題でしたが、日本全国を調べると、こういう地域はたくさんあるだろうと思います。
◇本日の参考記事
・農ledge「種苗法による自家増殖原則禁止の理解と誤解」 2018.06.08
・「思いが変われば運命が変わる―アーユルヴェーダを取り入れた74の生き方ヒント」石井泉著 東宣出版
◇ごましおの作り方:小豆おこわに乗ってるごま塩の作り方はこんな風