I’m in 2020. やっと、“田舎に帰った”年末年始。



中央線レベルで混んでる新幹線を体験:1区間のみ

 今回の帰郷は、新幹線で。
 27日の午前中、年明けに向けて目黒の打ち合わせを経て直に実家に帰るかと、品川駅発は昼で新大阪着に乗る。東京駅の始発だと自由席でも乗れたかも。

 28日が金曜日で、そこから本格的な正月休みに入るから、27日はまだそれでも人が少ない。どうも、東京からは先発隊として故郷に帰るのではと想定される、お母さんと2、3人の子供たちのご家族がやたらと多くて車中の子供率が高い。それで、たまに目が合う赤ちゃんと目線で話す(笑)。名古屋で、家族連れが何組かおりて、座ることができる。

 新大阪でのぞみの「博多行き」に乗り換えるけど、自由席の乗車率だけ中央線レベルで人がぎゅうぎゅう(笑)。みんなこのまま、博多まで行くのだろうか……。あと何時間、この状況が続くのだろう? 

 思えば、博多は人口が多いところ。人が多いところから多いところへと行くのかと。おそらく、乗客は最終地点しか目がいかないことだろう。
 それで、博多に行く途中にある田舎に帰る私は、わざわざ巻き込まれたらいかんと、次の新神戸で降りる。そこから、次の次くらいに来る広島着ののぞみに乗り換え。途中は、岡山しか止まらないし、広島までの人だけだから座れて快適。

 広島駅あたりで、小腹がすいたので、立ち食い蕎麦で西日本のお出汁を無駄に堪能し(東日本は醤油ベースで黒い)、各駅こだまを待って徳山駅へ。

母の迎えを待っていたら、大変なちょっと寒めな駅。
昔は、人がいてワイワイしていた。

 それで、最終地点はこんなとこ。実家の最寄駅から山陽本線島田駅(山口県光市)。帰るところがあるのは良い事だ。ただいま山口。

経済的に上手くいくことと、千年の計。 スピードか深度か。

 経済的にうまくというのは、基本的にはスピード感と他力感があると良いのだけど、弊害もあり、人間として上滑りなことがある可能性も大きく出てきます。日本の国レベルの、100年1000年考えられるかというと、少し疑問に思います。

 スピードと他力に頼った挙句、情報が上滑りで芯にたどり着いておらず、たとえば医師の診断に疑問を持っても、セカンドオピニオンすらしようとしない方……。同じ癖のような気がしますね。

 ただ、今の時代は両方できないと、実力とは認められないでしょう。たとえば、プログラミング教育とかもスピードと理論の話になるので、あった方が良い。両方の知性バランスも必要だな、と感じます。子供たちの世代は、私たちが思うよりもっと別のものを生み出す必要があります。

 東京でも、私が安心して会話できるのは、古い土地の出身者か血統が明確な方が多いですね。そういう方以外は、どこかに自らの正しきを誇り、相手に勝ち負けを挑むような意思があるように感じるため(笑)、こちらが面倒くさくなります。
 今までが、そんな器の人の関係の中でしかいなかった、と言えばそれまでですがね。

 まず、自分の感情がファーストになっていることを認められない方も、今の日本人では多くみられますからね……。国と医療と芸術の話は、物事の芯をとらえられるかどうか良い「ふるい」だと思います。(私自身も、ふるいにかけられる(笑))

私の身代わりに置いてきたニャンも8歳。うちには3ニャンいます。

 とはいえ個人的には、やっと「帰ってきた感じがする」。音楽以外は、家に居て、家族や。11月に、義理の叔母が亡くなったので、親戚を大事にして過ごしました。

上京前に、よく聞いていた
Dou Gratitude:工藤隆(p)左海誠司(dr)@カルチェラタン

 10年ぶりくらいだった、カルチェラタン(山口県周南市:旧新南陽市)というライブハウス。ログ風の建物で、天井の高さがかなりあるんですが、体感記憶が違うので戸惑いました。……記憶より、高さがあったのです。
 ……いろいろとダメな時の感覚というのは、現状を正しく認識してないものなのかもしれません(笑)。
 マスターも多分10年ぶりなんですが、まだ、私が山口市に住んでいると思っていっらっしゃったので(2011年4月までおりましたが…その年の11月から東京です)自分の仕事で東京に出ています、と、訂正申し上げました。

ご先祖様の生きざまを感じる。ただただ深度を保った持った時間が延々と進む。

上段手前のお宅で、39代目。
我が家は上から二段目。

 帰省では、しっかりと墓の掃除も。それぞれ、清掃エリアが決まっています。

 実家のある地域は、おおかた1400年くらいたっている部落で、お墓は、団地タイプの墓になっています。多分、墓石の年代から想定すると、現状になったのは明治以降ではないかと思います。

 実家の墓は、上から二段目。一番上段は、「岩本さん」「国重さん」「中村さん」。いずれも部落の中心となす神社に近いところにお宅があり、思えばなんとなくお名前がそれっぽい感じがしますね。
 ちなみに我が家は、部落の入口にあります。位置的には、群れの斥候的な感じ。どちらかいうと参謀役かな。ちなみに私と同じ苗字が多数あり、特にこちらは血縁というワケではありません。

 私が小学校のころまで、我が家んお古いお墓は、併合されていませんでした。そのため、裏山に遊びに行くと、墓石だと思しき石がゴロゴロとあり不思議に思っていましたが、単純に古い本家だっただけです。
 言い伝わってなかったので、当時は意味が良く分かりませんでしたが、なんとなくこの石は「ふんじゃいけないんだよ」、というのは本能的に分かるものです(笑)。本当に、石が埋まっているだけで、墓としたご先祖様もいらっしゃったようです。ただ、そこだけ平地になっていて、木も雑草も生えていませんでしたが。

帰りは帰りで座って東京に。「のぞみ」というスピードを捨ててみる。

山陽本線・光駅~下松(くだまつ)駅の車中より(山口県)。

 正月3日の新幹線内にて、思えば帰省ラッシュドンピシャで帰るのは初めてでしたが、
「本日自由席、大変込み合いまして、誠に申し訳ありません」……のアナウンスは、
「それしか手段の取れない、こいつらの能力が不足しているんです(私含め)」
……と、私の脳内では翻訳をされています。いやもう、ありがとうございます(笑)、みたいな。
  

 さすがに、自由席でののぞみは早々に捨て、こだま、ひかりと乗り継ぎ、東京阿佐ヶ谷まで帰ってきましたとさ。
 西日本から東京を目指すと、新大阪が始発のひかり、こだまがあるので、乗れる可能性が高まるのです。さすがに、新大阪から3駅くらいでぐっと混み混みになってきますが……。
 帰っても机の上で何かするだけなので、それをやりながら帰り、隣の子供たちのゲームを時々盗み見たり、飽きませんでしたが……。

帰りの新幹線車中は、座って移動。新大阪発のひかり号。
時間はかかりますがね……。

 とりあえず、2020年はマイペースにスタートした感じです。