穀菜食|私が一般食を捨てたワケ・11|自分で死ぬのを許す



1.周辺状況 2008年、初夏

「あなたが自分で死ぬときには、きちんと、『なぜ、死んだか』を知らせなさい」

「あなたが自分で死ぬときには、きちんと、『なぜ、死んだ』かを知らせなさい」
 母が当時、私にそう言いました。

 実はそのころ、実家の近所の同級生が自殺したのです。 彼の家は専業農家で、彼は家の仕事を手伝っていました。障害を持っていました。手足が硬直し歩行が困難で、顔の筋肉も麻痺え硬直しているために、言葉が明確ではありません。でも思考は正常で、素直で卑屈にはならず、いつも笑顔で純粋な印象の人でした。
  彼の家に、私の実家の田んぼの一部の世話を頼んでいました。

2008年4月下旬の実家の庭

父がガンで入院したとき、
「僕は、30まで生きられないと言われたけど、まだ生きてる。 だから、おじちゃんも大丈夫だ」 
 と、母に言ってくれたそうです。彼の障害のタイプを私は正確に知りません。多分、硬直が進行すると、結果的には内臓に至り死に至る、そんなタイプのものだったのかもしれません。

 よくよく聞くと、家庭環境が粗く、どうも母親が男ができて出ていったようで、それで、自分の居場所がなくなった、そんな感じでした。彼にとっての「世界」は、家庭がすべてだったろうから、たぶん、八方ふさがりの孤独だったのではないかなと思います。

「生きても仕方ない」

 彼は、そう思ったのかなと、私は思いました。誰彼を恨んだりしない、本当に純粋な心の彼ならそうするかも、と。もちろん、事実は本人でないと分かりません。
 これまで、いろんな状況でも卑屈でなかった彼が、なぜ死を選んだのか母は釈然としないから、私にそう言ったのでした。

2.死を考える

死を観念的に考える

 同級生の自殺もさることならが、自分の身も後のない状態ですから、じっと「死」を考えていました。

昔、お坊さんがテレビで言ってたけど、 
“死ぬ”ということは、 
水に入れた蛙をずっと熱していくうちに 
熱くなるのに気が付かず自然に死んでしまうのと似ている。
 
(熱湯だと蛙は飛び出るらしい)」 

なるほど、と説得があってそれは納得した。 
(お坊さんは死んだ人でないから実際どうかは分からないし、 死人に口なしだ) 

自殺などは、その部類に入るのかどうか分からないけれど。 

正直なところ、それ(蛙の気持ち)が今は実感できる。 

まだ、多分私は死なないと思う。 
なぜなら、ここで終われば物語的に面白くないから。

「訃報。」2008年05月17日のmixi日記

穏やかな自殺

 一般的な皆さんは、放っておいても緩やかな自殺に追い込まれています。

水なし炊きで煮物

 どうやって自殺に追い込まれているかというと、まず暴飲暴食。食べ物の中の添加物なども。
 放射能の問題とか、思考の偏りなどの教育課程での問題とか、こうした、さまざまなストレスで人のストレスというのは、増えていくのです。

 それから、考え方とか。

 特に、癌に罹患したり、難病を罹患したりした人は「前職の栄光を手放す」のが、死を避けることの一つの条件となったりすることもあります。もちろん、栄光を手放せず死を選ぶ方もいます。それもまた、人生だと思いますが。

人間、栁の状態が一番強い

「藤田さん。人間、栁の状態が一番強いんですよ。
 たおやかに、受けた風も受け流す感じでね。
 強いとね、ボッキリいっちゃうでしょ?」

 いつしか行った精神科の先生の言葉を、ふと、思いだしました。

お出汁は昆布と干しシイタケ
水に漬けると一晩でいい感じに

「そうだよなぁ。私の人生、突っぱねてるからなぁ」
 成長期に痛めた頚椎からくる体中の痛みで、立ってても座っていてもつらくて、立ち眩みとかが普通なのに、立ち仕事したり、重いモノを持って出たり……。
 当時の私は、「自愛」という言葉の意味が良く分かりませんでした。日常生活から痛くてつらいのが当たり前で、20代前半の時は首から下は切り落としたかったのですが、自分体からは逃げることはできませんでした。そのため、自分をどれだけ緩めて良いのか、この時の30歳過ぎまで、加減が分からなかったのです。

 当然は、感情の流れとして、披露宴の花嫁姿とか、恥ずかしくて絶対できないと信じていましたから。何かを、受け取れていなかったんだと思いますね。
 40も半ばに差し掛かった今では、きらきらはウエルカムなんでけどね。ドレス着てステージでガチで歌いますからねぇ……。人間変わるものです(笑)。

 で、当時、私はこう思い直すのです。

「死んで良いみたい、私。
 死んでも良いくらい辛いみたいよ、今、私。
 だから、あなたは死んでも良い」

3.実施状況 2008年、初夏

自分で、死ぬのを許す

 中学校から、体の状況がひどくても「死んではいけない」と何故か思ってた私に、死ぬ許可を与えたんです、自分で。当時の職場は、駅前アーケード街が近く、そこに金物屋さんがありました。

ここで時々店主が包丁を研いでいる。

ここの店主が(多分)研いでいたりするのだけど、研ぎながら一瞬コチラを見る眼光が半端なく鋭いので、
「いつかこの人にうちの切れない包丁を研いで貰うのだ」
とか思ったりしてた。
キレイに梱包された包丁をさっそく出して、かぼちゃなりを切ってみた。。。

…。


なんというか、良い刀は切った跡が分からなくて、またくっついたりする、
みたいなことを聞いたことがあるけど、そのままでした。

切ったものがぴたっと吸い付くような切れ味なんです。

そして、ちょっと包丁がモノ当った瞬間に出る「キン」という金属音が、心なしか鋭く聞こえました。「モチは餅屋」だな、としみじみ思ったのです。


2008年05月30日のmixi日記「モチは餅屋」

 包丁を完璧に研いでもらいました。
 本当につらい時は、死んで良い……どう考えても今後、そういうことも越えないといけないだろうとも思ったので、恐らく性格上、逝く時は一気にやりそうだから、頸動脈をざっくりと、即死な感じで逝こう、と。
 それで、包丁を研いだのでした。

 ところが…。

包丁で小指を切った。 
ざっくり3針です。 


2008年05月31日のmixi日記「そして、案の定」
処置後……。

 私、左目が弱視で遠近で裸眼で0.05くらいで、右目は1.5と健康なのですが、疲れると遠近が取れず、物に当たったり、物をぶつけたりするんです……が。サックリ小指をやりました。しかも、研いでもらった翌日に……。

 深夜病院に駆け込みました。三鍼縫いました。(小学校の時に階段に頭ぶつけて額を割った時以来…)良く切れすぎる包丁がすごくて、切っても痛くなかったんですよ。

 ただ、傷が深すぎて、血が止まらない(笑)

 それにしても神は、前向きな者(?)に、何をしたもう・・・・・。

職場にもっていっていた、おむすび弁当