なんだかんだ言って、小さい時に両親がそろって、何か協力して問題を解決していったりする姿を見せるのは、非常に重要だと思います。
というのも、多少なりと人は依存していかないと、社会性がなくなってしまうということ。
自分の始末もつけないほど、依存してしまったら、仕方がないけど、そこはバランス感覚で。
うちの両親は両方とも父親を若くして亡くしているのだけど、「甘える」ということを知らない人だった。
母親の兄弟は4人。
上から、お兄ちゃん、お姉ちゃん、母、弟。
三つづつ違う。
で、見事なことに、だんだんその子供たちが社会的に不具合になっている感じがするんですよね(笑)
母は小学校のころ父親を亡くしたというので、多分、まともな、感じだったのは、お兄ちゃん家。
私の父が亡くなった一週間後に、この母の兄のおじちゃんが亡くなって、あの年、土日土日と通夜と葬儀でした。
おじちゃんのときは、子供の声がいっぱいするので、明るさがあるんですよね。こっちのほうが本当は人間的には、正常だと思います。
多分、境目は12歳ころかな、とも思うなァと、しみじみ。
ばあちゃんは人間的にとても優秀で、死後に養子にしてた人が見つかるとか、かつ尋常でなく強い(運も)人だったから、旦那が死んで子供が4人いても、甘えない。
これは、凡人にまねができず、つらいところしか見えてこない。
以前、私がお手伝いしていた組織で、支店にいて調子を崩した子が、仕方がないので本部に戻されていました。
私が仕事以上に、あれやこれややってるのが彼女から見ると楽しいみたいで、「HARUKOさん、HARUKOさん」とくるので、はいはいと、なんだか話すことも多かったのです。
当時の私は朝4時5時くらいから作業を始めて、時短勤務で切り上げても仕事で、さらに夜は出て、歌ったりすることも多くて、寝不足はてきめんにおかしくなるので(笑)、見てるとすぐに分かりますと、笑っていました。
気が利く良い女性だと思っていたのだけど、何かの調子で、おかしくなったんだな、と。
ひょっとしてと、ふと、聞いてみます。
「最近、ちゃんと人と話してる?」
「そういえば、話せてないです」
「お友達と話してみたら? いろいろと調子が悪くなる時って、人と話せてない時が多いと思う」
なんだかんだで、彼女はその組織から出ていくのだけど、なんかいい風になってんじゃないかな、と思います。
根っこからおかしくなるまえに、とりあえず、「ヘルプ」と手を挙げる。くだらないことを話すのが効果があることもある。
一人ほど弱い者もないな、と思います。