- 目次:私が一般食を捨てたワケ・07|運を天に任す
- 1.身体状況 2008年、早春
- ただ、暖かくなるのを待つだけでした
- 2. 医療の本来を考える
- 西洋医療と代替医療の割合
- 鍼灸は東洋医学の緊急医療
- 3.幸せに成功するには
- “運”の使い方を間違えない
- 4.実施状況 2008年、早春
- 蕎麦が食べたい
- ……思い切り、笑え。どうせ騙せる
- 運を、天に任す
1.身体状況 2008年、早春
ただ、暖かくなるのを待つだけでした
乳腺炎は2年間で4回。動脈瘤は1回。頚椎は日常生活と現場で痛め続けているので、痛みを通り越し麻痺して、冷えたりすると体が固まるな、と思っていました。
この5年前だかに、肋骨の上部を撮影中に二本折っているのですが、治療家目線でも、私の頚椎が圧倒的に困難で気がそっちに行き、その困難に隠れて簡単なものがまるで気づかない感じでした(通常の病院処置で問題なかったです…)。肋骨の骨折は、未処置でそのまま間違ってくっついていた状態で、肋間神経は通常の場所になく、ずれたままで、痛みがたまっていきます。だんだん手指の力が落ちてきて、特に音声マンの仕事でガンマイクを支えるのがだんだん困難になってきます。ガンマイクは竿竹の先に長いマイクがくっついているようなものですが、ちょっと握り方を変えただけで、音声にノイズが乗ってきます。そのため、現場で扱うのはだんだん冷や汗ものになってきます。
ピアノがやりたかったけど、腕が持たない自覚症状がありました。
この骨折は、上京後6年後くらいに、絵筆が継続して持てないのがおかしいと、診てもらって、改めて分かるというビックリだったですが…。当時は、そうした外傷的起因よりも、内科的に完全にバランスを崩した状態でした。
動脈瘤の3ヶ月前には肝臓がやられていました。普通に考えて、再発の危険は多いにありました。
2.医療の本来を考える
西洋医療と代替医療の割合
私は代替医療にずっとお世話になっているとか、うちに薬がなく、しかもベジタリアンで、となると、西洋医学は全否定なのかと間違えて認識される方がいるのですが、私は西洋医学を全否定している訳ではありません。
ただ、今は割合が違うのでは、と思っています。本来の割合は、9:1(食事を含めた代替医療:西洋医学)ではと。急性疾患や、外傷、骨折などは必要だろうと思います。それから、血液検査等などの客観指標は分かりやすく、代替医療の経過はよくわかります。
鍼灸は東洋医学の緊急医療
鍼灸は、中国医学の理論に基づいています。エネルギー、「気」の流れ、経絡とツボ。日本の鍼は割とピンポイントですが、(それでも心臓関連のツボが手首に、腸関連のツボが背中にとか…)中国鍼は一度に全身を打ち、全体のバランスを整えます。また中医では、季節によって、症状を改善するタイミングがあったりして、一年に一週間、この時期にはこの症状の鍼を打つのだ、とかが症状によってあります。経絡、経穴(ツボ)感じの世界観で、人の体を診ます。
私のお灸の先生はピンポイント。
ただ腰が痛いのに、実は内臓が悪かったとか、同じ腰痛だと思っていたら、その先の首が実は悪かったとか、体のすべては繋がっていて、患部から全身へ経絡の響くのを常に感じていました。流れていく様はまさに電気信号でした。良く灸の先生は、経絡の本を開いては、打つ場所を解説してくれていました。「今、ここだからね」と、レクチャーしてくれていました。
鍼灸は東洋医学の緊急的治療になります。私は、先生の腕が良いのでいい気になっていて、先生が治してくれるだろうと推測されるギリギリまで体を使っています。
3.幸せに成功するには
“運”の使い方を間違えない
人間、幸せに成功するには、まず自分の範疇を確実にやっていく必要があるのですが、それが私はできてなかったんだろうと思います。自分と他人の境界線も良く分からず、他人に影響され続けて、本当の自分が見えていない状態です。
そのために、いつも他者に対して「自分を分かってもらえない」とか「どうして動かないんだろう」とか思い始め、最終的には、人の良し悪しをジャッジし始めます。
これを突き詰めると、他人の箸の上げ下げまでとやかく言うことになりますので。
学ぶ上で、細かいところまで大事に思うのは、非常に美しいことです。
しかし、それは他人から見ての自分が粗雑に見えないなどした心遣いや思いやりがあってこそ生きる話だと思います。自分と他人の境界線が分からず、ただ、ギャーギャー言っているだけでは、それこそ、人そのものが箸にも棒にもかからないわけです。
当時の私は、自分に対する評価が非常に低いため、人を批判して自分を上げて見せるという器の低いこともやっていたと思います。
ただ、人は一人では生きていけません。
繋がりあって与え合えあっているというのは良いのですが、一方的依存は、運気を普通に落としていくなと、今では思っています。
生まれて命があって、それが一番「運が良い」ということでもありますから。
4.実施状況 2008年、早春
蕎麦が食べたい
当時、お灸で乗り切った私の体は、本当に憔悴しきっていました。
仕事を辞めて帰ったとしても、実家には末期癌の父が、抗がん剤で青くなっている状態です。
「帰れないな。いろんな意味で…」
次第に動かなくなっていく体に焦りもありました。でもできないものはできません。ギリギリ働けているのは仕事内容が慣れているからできることであって、新しいことをはじめるにはあまりにも心身ともに不安でした。まだ、結果が出てない、思考の改善もされていない時期でしたしね。
他人との会話は必要最低限。笑顔もそんなになかったと思います。当時の私は、前に進むこともできないし、後ろ向きに死ねるわけもなかったわけです。
それでも、食事で体質改善をしようと、その日の前日決断しました。それで、その日はお昼に、消化の良いとされる暖かいトロロ蕎麦が食べたかったんです。
東京とか関東だと、石を投げたら蕎麦屋に当たる勢いのお蕎麦の文化ですが私のいた西日本ですと、それはうどんに変わります。うどんって意外と消化が悪いんです。
うどん文化圏なため、お店は探してもなかなか見つからず、職場に隣接している商店街で、暖かいトロロ蕎麦がおいてあるところは、そこの喫茶店しかありませんでした。
……思い切り、笑え。どうせ騙せる
人の輪の中に入って、人の気に当たってるうちはどうにか体は動かせていたのですが、一人になると体が固まる現象が起きてしまっていました。
よいしょっと、…やっとの思いでトロロ蕎麦を出してもらえる喫茶店の席に着きました。
座ると、その場で身体が動かせなくなりました。注文だけ、どうにかひと言します。暖かいお手拭が出てきて手を拭いて机に置くと、目は自然に閉じかけていました。
と、そこにとある男性が入ってきました。彼は、再就職で会社にやってきた中途採用の新入社員で、私より年上でした。同じ会社であるという共通認識はあるけども、同じ部署ではなかったので、ちゃんとした自己紹介はまだでした。大柄な人物で、狭い店内では目立ちます。
あいさつをと思ったけど、私は立ち上がることができなくなっていて、すっかり弱気になり、自分から声を出すこともできませんでした。
「まいったな…」
彼は一つ飛びの席に座りました。…と、当然のごとく目が合いました。
「どうしよう」 私はそのとき思いました。
……思い切り笑え、どうせ騙せる。
それで、口角を無理やり上げて、目の前の席へ来ませんか、と手で合図した。体はまったく動かせませんでした。彼は少し戸惑っていましたが、それでは…と、私の前に来てくれました。
「良いですか?」と彼は言いました。
「どうぞ」
「ちゃんとごあいさつをしていないですよね……」
「いえ、私も」
言葉も、なるべく短く発していました。
「これまで、どちらにいらっしゃったんですか?」
社交辞令的に質問をなげかけます。
すると、彼は変わった経歴の持ち主であることが分かります。 格闘家から何故だかホテルマンになり、あるアイドルに会いたい一心で、今のテレビの職についたと答えてくれました。
そして、現場でてんやわんや、挙句の果てにお笑い芸人にまで、突っ込みをいれられる過去の現場の話をしてくれました。
「……それにしても。”曲がらない”…」
その彼の「何か曲がらない部分」を感じて、私はこう言いました。
「いや、…30過ぎると曲がらない部分が出るなぁ、と思って…」
と、ほっとして、だんだん身体が緩んできました。自分のせりふを私は反芻しました。
「…私も曲がらないなぁ。 だって、本当は仕事をやめて実家に帰ればいいのよ……」
彼の経歴が楽しくて、私は「それからどうなったんですか」と、次から次へと質問を繰り返します。そのうち、なんだか私は本当に笑顔になっているようでした。
「面白いですか?」
と、彼はほっとしたように、言いました。
「面白いです。だって、カメラマンとか音声さんとか「技術」と呼ばれる人たちは普通、できるだけ迅速に現場を作り、的確に明確な仕事をし……要するに職人さんなので、あまり目立たない人が多いのですが……面白すぎますよ。でも……一つ仕事的に、言わしていただくと、……キャラでやってきたなら、技術は甘いですよね……」
この後に及んで何を、失礼なことを言ってるのかと……。
「えぇ、その通りです。だから、技術を見直そうと……」
温かい蕎麦と、彼との会話で、なんとかその場で私は動けるようになっていきます。
「……助かった」と、思いました。
帰りぎりわ、彼はこう言いました。
「僕は、ここのお店しかこないんです。なんとなく一つのお店が決まると、そこにしか行かなくて」
「え、そうなんです?」
この後、私は何度かこの店を利用するのだけど、不思議なことに同じ職場なのに、彼とはその後一度もこの店で会う事がありませんでした。
運を、天に任す
どんな状況でも、自分の意思以外で見ると、 何かによって動かされているように見えることがあるな、と。この時、ふと気がついたんです。
この後、結果的に、この時勤めていた会社は退職するのですが、あの時の「ありがとう」を言っとこうと、彼に話しかけます。すると、こう答えてくれました。
「あの時は尋常でないのがすぐに分かったので、最初、声をかけなかったんです」
……そうか。
私は、このトロロ蕎麦を食べた喫茶店の日から、物語のページをめくるように生きてみることにしました。これまでの、「私」の目にしてきた基準では、私の体の対応できないと感じたからです。 本格的に食事で、体質改善することを決断したのです。
そういえば、任天堂というメーカーがありますが、もともとは花札の会社です。公式で社名の由来は「人事を尽くして天命を待つ」であるとしていますが、本当は「運を天に任す」ではと三代目の社長が言っているそうです。
「運を天に任す」
当時の私は、先が見えないし情報もなく、ただ、伸るか反るか、一人やってみるかと思っているのでした。賭けているのは、普通に「自分の命」です。
2008年3月24日 mixi日記「人は人で変わる」
ふと、お昼を偶然一緒になった関西出身の新人さんは一つ年上だった。
30を過ぎるといろんなその人なりの固定スタイルが現れるもので、尊敬できたり、それは絶対にあんただけだよ、とも思ったりもする。 話してみると、なかなか、味のある人物。
そうそう。
私はいつも、人に助けられる。一期一会でも。
その人は助けたつもりはなくても、私にとっては大切な出来事の一つ。感謝をしなければ。 人は人でしか変わらない。