変拍子で「JAZZ」と出会う
ジャズ歴を振り返れば、体が弱かったので外に出れなくて、聞いていたのがオスカー・ピーターソンのCDかなとも。
「オスカー・ピーターソン・トリオ・プレイズ」
今ごろになって、きっかけは? と良く聞かれて答えると。異口同音に「そんな歌い手いません」「どっちか言うと楽器の人っぽい」「気が狂っている」等さまざま言われる訳ですけど(笑)。
エレクトーンを中学校までやっていたけど、その時の課題曲に「TAKE5」がありました。未知なる5拍子に、いつもテレビからかかっている音楽とも、クラッシックとも異様な魅力を感じ、「はて?」と思っていました。
「これは、JAZZよ」と、昔ウクレレをやってた母が教えてくれて、さらに聞くと、実はJAZZ喫茶に通い詰めてたとのこと。田舎でも町暮らしで趣味人だった母らしい回答でした。
1枚のCDを高校時代3年間聞き続ける
とはいえ、FM音源と機械の移り変わりに合わず、エレクトーンは離脱。
ただ、音楽は好きで。ピアノがやりたいなぁ、とは思っていたのです。エレクトーンは楽器が変わっちゃうけど、ピアノはずっとそのままだし、生音だし(人工音源が苦手だったのは、ろうそくの揺らぎ音まで聞こえすぎるため)。エレクトーンの教室もやめてしまったので、家には鍵盤もなくなってしましました。
5拍子が楽しかったのと、JAZZピアノって聞いてみたいなと、とあるトリオのCDを購入します。
当時、お世話になっていたお灸の先生が「音キチ」で、しかもJAZZが大好き。家には恐ろしく再現性の高いオーディオシステムが組んであるとのことで、かつ、いろいろと先生チョイスのポップスのお下がりのCDが面白かったので、興味があってジャケ買いしてたCDを確かめてもらうんです。
それで、一言言われたのが、
「大丈夫だ」
そうか「大丈夫なのか」と。そのまま、高校時代3年間、一枚しか聞いてないんですよね……。
特に、歌う人でもなかったので師事って誰を? という環境でよくわからず。気が付けばこの年で。それで、ジャズを知ってるかどうかと言われば、知らないですね(笑)。
“The Oscar Peterson Trio Plays”の1曲目“The Strut”は、下記。今頃、そのCDを調べてみたら「裏の名盤」だよとのこと。
特に当時は、歌の人ではなくピアノがやりたくて、でも家にピアノはなくて。脳内で、音源に合わせてプレイをしていたワケです。
ベース音だけ抜いてぶつぶつ歌う、ドラムだけ抜いてぶつぶつ歌う。音と音の間を考える。音と音の響きを見る。音色を見る。和音。音の外し方。全体のスイング感を分解して聞く。……全曲。
3年間、特に高校まで45~50分くらい自転車で出るのが、私の体にはすでに負担なので、学校以外で友達と一緒に出るっていうのは、よほどでないとあまりなく、家にいてオスカー・ピーターソンで。当然、当時のポップスとかは聞いているのだけど、戻ってくるのは、オスカー・ピーターソンで。絵もガリガリしながら、それでも、オスカー・ピーターソンで。おはよう、オスカー・ピーターソン。おやすみ、オスカー・ピーターソンという感じでした。
で、その15年後くらいに「どこでJAZZを習ったんだ」と、海を越えて帰った人から言われたり(JAZZやってる人と縁がなかった)。上京してから「それは宝だ」とも言われたことがあります。
実際、当時、頚椎を痛めた上に、どこにも属せないアウトローは確定だったので、気は狂ってたと思うし、たぶんスインギーなこれで脳内麻薬で痛みをこらえてたんじゃないのかな、と、振り返れば思いますね。
良かった。ビル・エヴァンズじゃなくて…
ところで、私が手にしたCDは、JAZZでも初期の方で、そのあとの発展形のモダンジャズの方向じゃないのです。
だいたいスイングの好きなピアニストが入っていくのは、ビル・エヴァンズかピーターソンかてことで。ピーターソンで助かったのは、彼はカナダ育ちの黒人だということ。音に暗さがない。
ビル・エヴァンズ は、クラッシックベースがあり、途中で変拍子が変わりすぎ、実験が施されて深すぎる。また、麻薬の中毒患者でもあるので、それがまた。
音楽の良し悪しでもなんでもなく、当時選んでいたCDがビル・エヴァンズだったら、命が今頃なかったかもなぁ、と今では笑い話なのですが…。
人生もいろいろ、音楽もいろいろ。