同じ曲でもローカルルールの歌詞がある
「山口県下で、1000曲ですか」
中国新聞防長路の連載は、当時小学校の校長先生だった戎谷和修(えびすたに・かずのぶ)先生がわらべ唄研究のために採取した1,000曲の譜面が入った研究書が発表されてからのものです。
私は、この連載を知らない人に紹介するときには、戎谷先生の研究報告書をまず紹介するのですが、その収集された唄の数に驚かれます。しかし、この数は山口県下のみ。それ以外の地域でも同じくらいの比率で唄があることだろうと思います。
戎谷先生の手元には、取材時の地域のおじいちゃんおじいちゃんが歌っているテープが残っているそうです。 まだ、聞いてみたことがないので、一度は、とは思うのですけど。
思えば、小学生のころっていうのは、わらべ唄でもなんでも、勝手に替え歌作ってみんなに流行るなんてことは良くある話で、そのあと後輩によって更新を繰り返し……といったところですが、今も、あるんでしょうかね。
「おまえんとこは、ぼろ学校じゃ~(山口弁)」とは、私の世代でも言いよったよーな気がします。
ふるさとのわらべ唄 戎谷和修 <9>隣の学校ぼろ学校
二学期が始まり、子どもたちが元気に登校している。今も昔も彼らは学校が大好きである。昔は、その気持ちを他校の子を冷やかすことで小気味よく表現していた。
そんなことを、美祢市伊佐の土屋貞夫さんは「ほかの学校には講堂がなかったんじゃが、伊佐の学校だけ講堂があって。突っ張りをしたような建て方をしちょった。村と村でいつもけんかがありよってね。『伊佐の学校、突っ張り学校』など、悪口の言いやいっこをするんです」と話してくれた。私にも「三蒲の学校いい学校、行ってみれば突っ張り学校」と冷やかされた記憶がある。
岩国市玖珂町では、他校の子に会うと必ず「○○の学校ぼろ学校、雨が降ったらもおる。風が吹いたらこける」と冷やかし、けんかをしたという。また、阿東町生雲や山口市秋穂町では「隣の学校ぼろ学校、はしで建てて、味噌(みそ)で壁を塗る」、下関市西山では「私の学校いい学校、おまえの学校ぼろ学校」など、どこででも同じようなことを言っていた。
国語の教科書にもなった今西祐行著『太郎こおろぎ』には、廊下と教室の間は紙障子で運動場は道を広くしただけの小さな小学校だったので「しょうじ学校の 道うんどう」と冷やかされたと書かれている。けんかや冷やかしのことなのに、楽しい思い出として残っている。(元周防大島町立三蒲小校長)
隣の学校 ぼろ学校
はしで柱建てて
味噌で壁を塗る
(阿東町生雲、山口市秋穂町)
私の学校 いい学校
おまえの学校 ぼろ学校
(下関市西山)
[記事:中国新聞社提供 掲載日付:2007年9月16日]