ふるさとのわらべ唄<8>風鎮祭 杵崎様

小さいお祭りには資料がない

 日本人は、どうしてこれまで祈るのか。細かく細かくお祭りがあります。
 それくらい、土地の神様、自然の神様を意識することが多かったからです。
 小さなお祭りはどんどんすたれていくようになります。時々、今なかったりするお祭りで、写真資料なし。ネットで近いお祭りを検索しまくるしかないのですが、細かくみれば、同じ方向性のお祭りというのは結構あります。ありがたいことです。
 
 記事中の光市は私の生まれた市ですが、私の育った山側の地域とは真逆の海側で、それだけでも分からないお祭りでした。
 無料ブログでいいので、田舎の日々の行事とかは、ぜひ、写真付きで残しておいてほしいところです……。伝え手の立場からも思うことです。

ふるさとのわらべ唄 戎谷和修<8>風鎮祭 杵崎様

 八月末から九月にかけての旧暦二百十日ごろ、風鎮祭が行われていた。周防部では光市室積の杵崎(きざき)神社が風の神として祀(まつ)られているので、多くの場合「杵崎様」と呼び、山で火を焚(た)いた。松明(たいまつ)を持って村はずれまで行き、崖から海に投げたという所もある。

 以下は、周防大島町秋の正久宏郎さんに伺った話である。
 夏休み、台風前に杵崎様ちゅうて山に登るんです。風の神様です。瓦でつくったちゃんとしたお堂が浜組と下組と空組と、小高い山に三つあるわけです。みんなが麦藁(むぎわら)を一把(ひとたば)ずつ持ってですね。松明をふもとから振りながら上がり、最後に掘っておいた大きな穴へ投げ込むわけです。
 そして、稲が風にやられんように、燃える火の周りを囲んで太鼓をたたいて「ヤンセ(盆踊り)」を歌うんです。亥(い)の子と杵崎様は大人が絶対に関与できない。頭(かしら)がすべてを仕切ります。火の始末が大変ですよね。安下庄も昔は派手にやっていましたよ。
 俗な言葉で「ちょうさんばにあがる」言うんですがね。各組に杵崎様のお堂があって、亥の子の当家が一年間保管します。最後には親たちがぜんざいを炊いてくれます。非常に楽しみでした。また、昔は唄も多かったですよね。杵崎様で歌って、盆踊りでも歌ってましたから。(元周防大島町立三蒲小校長)

ヤンセー
ここと平郡(へぐり)と続きながら
よかろうよねーさ
橋を架けましょ
ヤーレイノ
エーサ船橋を
(周防大島町)

[記事:中国新聞社提供 掲載日付:2007年9月9日]

唄の採取場所です。
ちなみに、山口県はここです。