- 目次:
- 1.日本プラズマ療法研究会の研究発表会へ
- 研究発表会へ
- 「作り手」と「依頼した人」
- 2.プラズマ技術と、開発者の苦難
- プラズマができることは「分解」「合成」「改質」
- プラズマ技術を医療分野へ
- 3.癌を工業的に解決するヒントは分子レベルの論文から
- 対策案は、ミトコンドリア癌起因説:ワールブルク効果
- 対策案は、ミトコンドリア癌起因説:ワールブルク効果
- 4.細胞の癌化の重要な鍵「ミトコンドリア」の歴史
- ところで、ミトコンドリアって…?
- ミトコンドリアは、いかにして私たちの細胞になってきたか
- 逃げ遅れたロドシュードモナスがミトコンドリアの先祖
- ミトコンドリアの遺伝子(mtDNA)
- 5.プラズマパルサー、初号機へ
- ミトコンドリア活性を目指す、水と装置
- 試作機は三日で完成
- 臨床の医師たち
- 医工連携
1.日本プラズマ療法研究会の研究発表会へ
研究発表会へ
サロンに通っていることは、開発者の先生がいらっしゃる時に、どうにも時間が合わせられませんでした。結局、私がプラズマ装置にかかった、その年の秋、11月の研究発表会で初めて、開発者の田丸滋さんのお話を聞くことになります。
「作り手」と「依頼した人」

プラズマパルサーと
プラズマウォーター
開発者の田丸滋さんの話は衝撃でした。
プラズマパルサー装置の開発は2010年8月、研究会の事務局長久保木さんが田丸さんのもとを訪ねたのが始まりです。久保木さんは医療機器を販売を仕事にしていて、田丸さんは東京大学の研究室に籍を置いている研究員でした。久保木さんは、こう尋ねます。
「市販の電位治療器を応用して、癌を改善する装置の開発がしたい」
田丸さんは、明治大学(旧・工業化学科)卒、タケダ薬品系の薬品会社の営業を経て、東洋インキに就職。そこで、プラズマ技術(高電圧放電)に出会います。
2.プラズマ技術と開発者の苦難
プラズマができることは「分解」「合成」「改質」
東洋インキでプラズマ技術を使っていたところは、ペットボトルのラベルでした。ツルツルのラベルに印刷すると、フィルムの被膜にはインクが定着しません。それでインクが定着しやすいように、表面を細かく傷をつけるのです。このフィルム状を荒らすことに、プラズマの放電技術を使っていました。物理的な解説だと、放電針からの高圧放電で物質を分解していたのです。
当時はまだこうした高圧放電に「プラズマ」とは名前がついていませんでした。田丸さんは工場で、針の先から出る高電圧放電で、フィルムがまんべんなく白く細かく分解していく様子にインパクトを覚え、プラズマの技術を調べます。
すると、プラズマは、放電条件を変えるだけで、「分解」「合成」「改質」ができるということが分かりました。
田丸さんは、一つことで三つのことができる、プラズマ技術の面白さと、まだ当時は、分解までしか開拓してされていないという、技術の可能性にのめりこみました。それで、プラズマ技術の開発者の道を進み始めます。
プラズマ技術を医療分野へ
その後、医療分野でプラズマ技術が生かせないかと依頼で、東洋インキから帝京大学麻酔科に移籍。帝京大学では、病院の手術前に使われる亜酸化窒素(笑気ガス)の分解に成功し、その成果は、国際論文につながります。全米麻酔科学会へ国際論文が通ったのは、明治以降日本人として初めてでした( Ph.D. in ASA )。続いて環境と工学でも博士号を取得しました。 開発者として25年の経験があり、 トヨタの車載の排ガス装置、東京ガスのマイクロガスタービンをはじめ、108の特許を持っていています。
ところが、トヨタの開発中の途中の健康診断で、癌を発症しいるのが分かります。原発は胃癌で、肺と肝臓に転移。見つかったときには、すでにステージ4でした。医師から余命を3か月と切られながらも、手術もせず延命して5年目。もともと90㎏近くあった体重も、半分の50㎏以下になっていました。
癌を改善する装置を作るという依頼を受けて、田丸さんは参考に、他社の電位治療器を何台か調べて分解します。機器の中には、特許を取得しているにも関わらず、とても科学的に認知が高いと言えない製品もありました。
思えば、わが国は平賀源内の「エレキテル」から、電気的な装置の歴史は古いのです。
3.癌を工業的に解決するヒントは分子レベルの論文から
対策案は、ミトコンドリア癌起因説:ワールブルク効果
とにかく何か手がかりがないか、東京大学の図書館で論文を読み漁ります。通常、日本の医学の現場では「癌は、治らない病気」で、厚生労働省の医療現場への指導は「5年延命」だと教えらえれていました。
そこで、1955年に発表されたドイツの医師で生理学者のオットー・ワールブルク(ワースベルク効果:ミトコンドリア癌起因説)の論文に出会います。ワールブルクの研究テーマは「癌細胞の呼吸」でした。1931年に「黄色酵素の性質と製造法の発見」でノーベル賞を受けています。


ワールブルクの実験は、細胞を無呼吸状態にして細胞の変化を見るものでした。通常、私たちの細胞は、酸素がないと3分間で死滅します。でも、長く座っているときなどには、お尻の細胞は無酸素状態になるワケなのですが、実際には、細胞は生きています。この時細胞は、酸素の必要ない呼吸「嫌気呼吸」を使って耐えているのです。 酸素を使わない呼吸とは、食物内に含まれる酸素しか使わない「発酵」になります。
実験では、無酸素状態の時に酸素を使わない呼吸に切り替わり、通常の空気の戻しました。ほとんどは、そこで死滅するのですが、一部、嫌気呼吸に切り替わったまま、それを本来の呼吸であるかのように、機能を昇格させて生き残るものがいました。
発酵のエネルギーを使うのは、下等生物か未熟な胎生生物で、これが生き残り、周りに悪影響を及ぼし癌細胞になるというものでした。
時を経て2008年、筑波大学の林純一教授のチームが、細胞の悪性化にミトコンドリアが関与していることを立証しました。ミトコンドリアの突然変異により、細胞が癌になっていき、さらに癌の組織をも作っていくことが分かったのです。
田丸さんの研究の中のテーマに「ミトコンドリア活性」があり、実はその研究は微生物レベルでは成功していました。田丸さんは考えます。
「これを、人体に応用できないか……。」
4.細胞の癌化の重要な鍵「ミトコンドリア」の歴史
ところで、ミトコンドリアって…?

ミトコンドリアは、体細胞の小器官の一つです。ミトコンドリアには独自の遺伝子(mtDNA)を持っており、その半分は、私たちのお母さんの遺伝子になります。
彼らは、もともともは他のバクテリアだった生命体で、ロドシュードナスという微生物だと言われています。ロドというのは、赤色という意味があり、実際に、ロドシュードモナスは可愛いピンク色でミトコンドリアもピンクです。紅色硫黄細菌と日本語では言われることもあります。単純な構造で、腸管のようなものがあるだけです。

ロドシュードモナス・パルストリス
人一人の細胞数は、諸説あり37~60兆個ですが、ミトコンドリアはひとつの細胞に300個から多いところで1000個います。脳、筋肉などは、細胞内のミトコンドリアの数が多大で多いので赤くなっているのです。
ミトコンドリアは、いかにして私たちの細胞になってきたか

これらは岩でなく藍藻(シアノバクテリア)類。
はるか昔、25億年前の地球には空気中に酸素がありませんでした。そのため嫌気性呼吸の生物しかいませんでした。ミトコンドリアの元であと言われているロドシュードモナスは、この時代の酸素を使わない呼吸の生命体です。

ある時、植物プランクトン、シアノバクテリアが大量発生して酸素を空中に吐き出し始めます。
私たち人間は、酸素を使う生物ですから、酸素を安全だと思います。しかし本来の酸素は猛毒で、今の大気の酸素濃度の約20%が倍の40%になると、私たちの肺に酸素で焼き付いてしまします。
シアノバクテリアの大量発生で、それまでの酸素は物質にくっついている状態です。たとえば、鉄は錆びやすいですが、さびた状態は、酸素がくっついた状態の酸化鉄です。そのように、酸素は岩などにくっついて存在していた状態で、遊離して独自に空気中にあるということがなかったのです。
逃げ遅れたロドシュードモナスがミトコンドリアの先祖

ロドシュードモナスは、酸素の中に生きることができないので、地下深くや太陽の光の届かない海の底などに逃げました。ところが、どこにものんびりしたものがいるもので逃げ遅れた者がいて、それが植物プランクトンの中に逃げたのです。
ロドシュードモナスは、アデノシン三リン酸(ATP)という充電池のような物質を持っていました。とても高いエネルギーがあるため、寄生した植物プランクトンで動けるようになります。動物プランクトンの誕生です。

動けば、エネルギーすぐになくなります。酸素の猛毒を避けた後には、エネルギーの補充を考えなければなりませんでした。とても簡単でした。隣の細胞をたべてしまえば良いのです。恐ろしいかなこれが、捕食の始まりです。必要なものを食べて溶かしたら、いらないものは排泄します。私たちが物を食べて、排泄するのと一緒です。

そのうち、いつも溶けてしまうはずの細胞が、溶けないタイプも出てきました。溶けない細胞は、いろいろと生命維持を望ましいものに対して、役割分担をし始めます。これが、私たちのような多細胞生物の始まりになります。
ミトコンドリアの遺伝子(mtDNA)
ミトコンドリアには遺伝子があり、その遺伝子(mtDNA)は約16.5Kbp(キロベースペア:約16,500塩基対。)あります。対してヒトの遺伝子の数は約3~3.1Gbp(ギガベースペア:約30~31億塩基対)あります。
同じ一つの塩基が損傷したする考えると、mtDNAとヒトのDNAでは、数十倍も受けるダメージの差があります。しかし、ミトコンドリアのDNAは影響力が強く、異常が起こるとヒトの核DNAに影響が出てくるのです。結果的に、mtDNAの突然変異によって、がん細胞になっていき、さらには癌の組織化を誘導していることが明らかになっています。逆に、ミトコンドリアが元気になると、間違った細胞は自死(アポトーシス)させる信号が出せます。
田丸さんの研究は、ミトコンドリアの原種のロドシュードモナスのATPを増やす、つまり、元気にするところまでは成功していました。

5.プラズマパルサー、初号機へ
ミトコンドリア活性を目指す、水と装置

ミトコンドリア活性は、微生物培養の段階で完成していました。それが、プラズマウォーターです。プラズマパルサーという装置は、プラズマウォーターのトリガー効果を狙った装置でした。
「動物実験って、いったい何十年掛かるんですか。僕がやっちゃいました」
研究室教授の六川修一さんは、田丸さんの同級生でした。死を意識していた田丸さんは「最後に、自分の好きな研究をしたいと」と押しかけ、研究員をしていました。
通常の研究では、微生物など細胞レベルのあと、動物実験などを経て、実施に人に使われる臨床が行われます。約10年ほどかかります。それ以前に、田丸さんの自分の命がなくなる可能性が多いと考えました。
というのも、胃癌の影響で、物を食べるたび胃壁を削るので、吐血し矢を刺された痛みに毎食耐えていて、もともとあった体重は、90㎏から40㎏に落ちている状態だったからです。
ただ、開発倫理に反しているのは十二分に分かってます。六川教授に開発をさせてくれと頭を下げ、最初は反対していた六川教授も、次第に折れることになります。
「お前さん論法でとても癌が治るとはとても思えないから、好きにやれ。曲がり間違って、装置が世に出るなら、出てってもらうよ」
試作機は三日で完成
25年の知識と経験を総動員し、1か月程度で構造設計、3日で初号機(試作機)を作り上げます。
田丸さんは予定通り自分の体を張って「人体実験」をします。最初は、自分の癌の痛みが少しでも緩和されたり、食事が取れれば良いと思っていました。
その実験は紆余曲折のすえ、成功し、その年の12月のクリスマス前には自分の癌を消失・緩解させます。(注:日本の医療の世界では、癌は「治る」と言いません)
もちろん、倫理を反しているので、結果的に研究所からは出ていくことになります。
臨床の医師たち
装置に興味を示し、最初に臨床の現場のもちこんだのは、 防衛医科大学非常勤医師(2014年当時) の黒川胤臣さんでした。黒川さん自身が顔の半分に麻痺症状があり違和感を感じていて、自分にまず試してみるとのことでした。プラズマパルサーにかかることによって、麻痺症状が改善していったようなのです。それから実際の患者さんに使用する、臨床がスタートします。
その後、草の根活動で現場の医師や治療家に伝わり始め、研究会という組織ができました。

技術者も技術者なら 、当然のことながら関係する医師も戦いの真っ最中です。健康増進クリニック院長の水上治さんは抗がん剤否定派です。
「みんな、権威に騙されるんです。うちにくるのは、抗がん剤でボロボロになった患者さんばかり。だから、プラズマでは間に合わない。
症例です。一つです。これでは、医学会的には認められません。でも、事実です」
医者同士の主義主張も違います。さきほどの黒川胤臣さん。
「私は抗がん剤全否定ではありません。最近の抗がん剤は違うんです。有効な手段があれば使う。主治医にプラズマのことは、くれぐれも言うなと(患者に)言います。
それにしても、医者が漢方を使ってくれない! 癌には集学的治療が必要です」
研究会に所属してる医師は、癌について「なるべく手術はしない方向が望ましいけど、手術しないといけない癌もある」という姿勢の方が多いようです。たとえば、がんが大きくなりすぎて物理的に心臓に影響出るとか、気道閉塞、腸閉塞などで、即座に命に問題が生じる場合などです。
「〇〇先生はこうおっしゃるが、私はこの方向で」など、空中戦が展開されていた研究会でしたが、本当の大人の「歯にもの着せぬ 戦い」と言うのは、こうしたものを言うのかも知れません。しかし、方向性はみんな「人を救いたい」という、思いこれだけがしっかりあるのだなと感じました。
医工連携
最近の医療の流れとして、医学と工学の掛け合わせ、というのが多くなりました。プラズマ療法は、医工連携をやっている療法でもあります。
ヒトの体というのは本当に構造が良くできています。分子生物学が進んでいるのにも関わらず、肝心の人の体に日々接しているしているはずの医師が学んでいない、という現実もあります。
これには、日本の制度の問題もあります。日本の医師は一度免許を取ってしまえばそれでずっと医師でいられます。対して、米国の医師の免許は、5年に一度更新があります。とはいえ、日本の医師の中にも自分の医療を深めるため、ほかの分野を学ぶ医師はいます。その中で科学と連携をとる医師もいます。
プラズマ療法はたしかに両方の知識が必要な代替医療になっていました。
◇協力サロン◇
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