穀菜食|一般食を捨てたワケ・03|病気で薬を避けたいのは

 食養生に入る前の、私の病歴と治療的観点というのはあまりないようなので、続きで書いておきます。


  • 目次:一般食を捨てたワケ・03|病気で薬を避けたいのは
       
  • 1.治療家目線 2010年、2015年
    • 「ベジタリアンだから、今、持ってるようなものですよ」
        
  • 2.身体状況 20代半ば
    • 母の作ってくれた味噌汁が頼りの徹夜明け
    • 911で分かる、私の「怒り」の本質の感情
        
  • 3.身体状況 20代後半
    • 医師曰く『昔もおじさんだったですが、今もおじさんです』
    • 『睡眠薬はシップ薬だよ。バットで殴られた状態だから』
        

1.治療家目線 2009年、2015年

「ベジタリアンだから、今、持ってるようなものですよ」

 2007年に灸の先生の治療と決別し、2008年に食事を切り替え、その翌年の2009年にカイロプラクティックと気導術という気功の一種の施術ができる人に出逢います。その時、こう言われる訳なんです。

「ベジタリアンだから、(この体は)今、持ってるようなものですよ」
  理由は、穀菜食(ベジタリアン)は柔らかい筋肉が出来上がるからのようなんですね。
 肉食ばかりの筋肉ですと硬いので、実はケガに繋がりやすかったりする事例もあります。私の場合、ガッチガチだったので、それ以上硬くなると死が待っている状態でした。(写真は、その先生に出会う数か月前の2009年、宮島にて)

 2015年、プラズマ施術の手当てで見てもらったら、私の腰の筋肉は、通常の人の腰の筋肉の2倍くらい上からスタートしているようです。痛めた頚椎は3番と4番。さらに背骨に一個奥にずれていました。つまり私の腰の筋肉は、背骨の弱さを補うために、背中をも支えられるようになっていたんです。

「良く鍛えましたね!」と、治療家の先生に褒められました。

2.身体状況 20代半ば

母の作ってくれたお味噌汁が頼りの徹夜明け

2001年
筆書きを取り込んで
ペンタブで着色

 20代の半ば頃、実はHPを持っていてブログというものが出来上がる前で、テーブルタグとかで日記をつけていました。書く内容が、今と変わらず、当時から割と広いので、「三人くらいいる気がする…」と友達が言ってた気がします。
 睡眠時間は36時間中15分だったりすることもありましたが、編集中は自分を支えるためにネットを見ていてそれが、時間が長くなる原因だと、良く咎められましたかね。体の具合と心の具合が一致できなくて集中しない。
 それで、朝帰って、母が作ってくれる味噌汁が心と体の頼りでした。

 以前は、変に甘ったるいもの、たとえばドーナツとかケーキとかそうしたものは苦手でした。でも、20代の食事と言えば、甘いものと油ですね。だんだん雲行きが怪しくなる訳で……。
 甘いものと油の多いものに慣れてきて、簡単におなかが太りますから。美味しいものが、油ものと添加物と砂糖のようになっていきました。要するに、手軽に手を伸ばせば、直ぐに口に入る物に変わっていった訳です。

911で分かる、私の中の「怒り」の本質の感情

 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロは、防災訓練のヘリの絵を編集している最中で、スタジオに詰めていました。友人から電話で「テレビを付けろ、大変な事が起きているから」という事を教わりました。
 日を重ねいくたびに、多くの人が犠牲になっているのが分かりました。死者合計2,996人、負傷者は6,000人。当時の報で、死傷者あわせて約5,000人と私は聞いていて、

「5,000人か、妥当だ。……やるな」

 これは、私がその情報を得て、一番初めに沸き起こった感情でした。もちろん私も自分自身に対して「気が狂っていると思われても仕方ないけど、でもその思いは、私の中での正直な部分だ」と思い、気にしていました。
 ただ、今でしたら「痛み」を中心に、自分が自分をないがしろにしていることに対して、実は怒っているという感情があることに気付いていますが、当時は何だろう? としか分かりません。

 自分の心の具合を無視しているから、案の定、不調になっていくのです。

2003年 取材先にて
あまりに愛用していたので、
絵を描いてる(笑)

 上の写真は、カメラ小僧だった親戚のおじさんが、取材中の私を見つけて撮ってくれたものです。鬱と病名がつく2か月くらい前の私。当時はCATVで、番組を作らせてもらっていました。4年目だったと思います。夜の撮影で狙ってる感じかな。当時VX1000、これがセンセーショナルな機械でしてね……という方向の話ではないので、そこは置いて。……なんて。でも見た感じ元気そうでも、この後、まいりますからね……。

3.身体状況 20代後半

医師曰く『昔もおじさんだったですが、今もおじさんです』

2003年 水彩・筆ペン

 灸の先生が、結構な期間、うちにいらっしゃらないこともあります。そうして、先生が来られてもタイミングが合わず、私が家にいない。そうしたことが続いていました。そのころ、背骨も随分落ち着いてきたので、そこまで緊急ということはなくなったときでした。
 ……どうにも、おかしい。
 その時は先生の薬を飲んでも効き目がなく、風邪みたいだけど、調子が、いつものように休んでも戻って来ないのです。
「どうしようか……」
母と相談して、「もしや…」と、再び、中・高とお世話になった精神科の先生の扉を叩きます。内科、心療内科、精神科が併設なので、問題があったらどこか正しいところに落ちるだろうと。

「覚えていますよ。当時は、高校生だった(中学のみならず、高校の時も不調で通った時期があった)。先生は、前も、おじさんに見えたと思いますが、今もおじさんです」

 安心したような、それでも「オイオイ」という突っこみをしながら、診察を受けます。

 出された診断は、「パニック障害、鬱、自律神経失調症」
 出された薬の名前は憶えていませんが、鬱の薬、擬似妊娠させることで、精神を安定的にする薬、それから睡眠薬と三種類ありました。当然、仕事はドクターストップがかかりました。外に出ていく映像系は外し、どうにも続けないといけない挿絵の仕事だけは、残しました。

『睡眠薬はシップ薬だよ。バットで殴られた状態だから』

2004年 自分の絵柄っなんだろうと思って描いていた
(水彩・マーカー)

 その投薬から一年後、やっと事情に気が付いた灸の先生が病院から出された薬を見ます。私は体が効かなくなったので仕事を少なくして、自宅でぼんやりしていました。実は調子が悪くて、とそんな話になり、「じゃ、飲んでる薬は?」とそういう風になるわけです。

「…これはね……。
 睡眠薬は、サロンパスをのんでる感じ。バットで殴られて失神状態になって気を失っている状態だから、実質は眠ってないんだよ。良く痴呆症の人が睡眠薬で症状がひどくなる。あれは、本当はきちんと眠ってないからだよ」
 お灸の先生は、病院に薬を卸す会社の社長でもあったから、分かり易く解説してくれました。
 
――しまったな……。
 薬の害を知った私は、翌日からすべてを止めることにしました。普通はやってはいけないんですが。なぜなら、禁断症状で命を落とす危険性があるからです。だから、正しくは医師の指導のもと、ジワッと辞めていく。
  でも、私はビシッと辞めてしまい、その後、一週間 禁断症状と戦います(笑)。
 8月半ばくらいだったと思いますが、暑い夏に、ぶるぶるガタガタ、寒くて震えました。そして薬を切ることで、逆に、15分と続けて眠れない日が一週間続きました。TVドラマとかでよく描かれる、麻薬離脱の時のシーンは多分これだな、と思いました。……間違いないですね(苦笑)。
 15分続けて眠れない状態が続くと、どちらが夢か現実か分からなくなりました。おそらく、弱い人でしたら幻覚症状に心を奪われることになるのでしょうけど……。私、強いんです。
 実は、私はお灸の治療が始まる中学生の時、治療自体が厳しくなるのがあらかじめ分かっていたので、先生が精神的に「強くなる」へこたらない灸を打っていたのです(そんなツボもあるんです)。そんなわけで、お灸の先生からも「強いから大丈夫」と一言いわれて、「まぁ、大丈夫か」と。それも、ザックリと薬を辞められた理由でもあります。
 ただ、丸腰でダイブしてみたら……。……いやもう、薬ってひどいなと……。強制的に、作用通りの体になっていくんですよね……。
 そんなこんなで一週間たち、禁断症状も収まりました。
 その後、何らかの原因で、口が1㎝も開けられなくなるほどの顎関節症にもかかりました。いずれにしても、超ストレスはあったと思います。
 これも、灸の先生の手で、どうにか動かせるようにしてもらい、「体は食べるものでしかできないから」と、回復をイメージして、母の作ってくれたご飯を一生懸命食べました。
 
 体調が落ち着いた頃、自分の中で、おかしな感覚に気が付きました。
 これまであった物を作る「見えないものを作り出すときに使っていた見えない作業階段」がなくなっているなと……。 脳みその機能が一部やられている実感がありました。
 それでもそろそろ働きださないと、と、思っていました。

 せめて楽しい気分で、人と会う事がしたい。と、ゴスペルでやってた歌を思い出し、まだそうとう意識は朦朧としていましたが、JAZZのジャムセッションに出て歌い始めました。