穀菜食|一般食を捨てたワケ01・もともと体は弱かった

「そんなに食べられなくて、何を食べるんですか?」
 よく尋ねられます。
 アーユルヴェーダーの観点では、「体の弱い」人。消化できないから、というのもあるようですね。私が、穀菜食になって、そこを住処としたのをたどります。



1.身体状況 幼少時

ミネラル不足の永久歯欠損

2015年お友達とデート

 私は、小さいころから体が弱かったのです。

 おそらく、原因のひとつが、ミネラル不足ではいかなと近年は思っています。ミネラル不足の子供たちに象徴的なことがあって、それは、永久歯欠損です。つまり、乳歯が抜けても、永久歯が生えてこない子供たちがいるのです。
 実は、私も該当していて、下の歯が1対ありません。

 思えば、私の実家がある土地は1400年くらい住んでる土地なんです。むろん化学肥料などもつかう慣行農法を行使した後ですから、土の中のミネラル分は少ないことでしょう。それでも、土の栄養的なバランスが崩れるという意味では、慣行農法でも有機農法でも、被害は同様なのですが……。

 本来あるべき土地の機能を、自然の流れを無視し、人間の都合の意思だけで変え、ある意味奪うことですから。

 「この辺の人はみんな足の小指が曲がっている」と、そのあとお灸に来てくれた先生が、周辺の何軒か見ていました。それで言うのですが、これは私も同様で小指は曲がったままです。20代のころまで、私の足指は完全に伸ばし切ることができませんでしたが、今は、左小指以外、ほぼ改善しています。

 幼い時に私は母の母乳が合わずに、吐いていたそうです。それで、豆乳で育ちました。

 小さい私の食は細く、なかなか食べず、寒さに弱く、辛抱にも弱く、頭が痛いといっては横になり、トラブルの多いやせっぽちで、頭はいつも朦朧としていました。良くふらふらして物にぶつかっていました。

 幼稚園の時と小学校低学年と、すべって転んで建物の階段の端っこに額をぶつけ、三針ずつ縫いました。左目がいつかぶつけたか知れないけど、結局育たず、今でも左目は弱視で遠視で乱視です。今は、0.05ですかね。食べ物を強制してから、少しだけ見えるようになりましたが、以前は0.03だったように思います。右目は1.5ですので、日常生活に問題がないため、矯正はせず裸眼です。

2011年5月の実家前の田んぼは田植え直後

2.身体状況 中1秋

時計が頭に落ちてくる

 13歳(中1)の初秋に、学校の教室の時計が頭に降ってくるトラブルに合いました。

 その時は中間テストで、教室の壁かけ時計が横の柱にあったものが、みやすいようにOHPのスクリーンかけてありました。

 ちょうど休み時間、私はその真下にたまたまいて、引っかかってたはずの時計が外れ、私の頭に落ちてきました。その時計は私の頭で跳ねて、1m先くらいに落ちました。一瞬、何が起こったかわかりませんでした。特に傷にはならなかったんですが、今だと大騒ぎでしょうね。

 これからみるみる不調になり、原因不明の頭痛や腹痛に悩まされます。学校を一週間休んで、次の一週間は出るけど、また休んだりするようになりました。ご飯を食べると、30分後にはお決まりのように胃痙攣が来ていました。晩御飯を食べたら、椅子に座っていることもできないので、横になってうずくまっていました。そして、痛みが去るのを待ちます。

 病院に行くのですが、原因が分かりません。一度来ていた生理が、止まっていました。

3.身体状況 中2秋~

富山の置き薬屋さん

カウント・ベイシー
20代の時に描いたもの
お灸の先生はこんな感じの
大きめの人だった

 母がたまたま知りあった治療家の先生は、富山の置き薬屋さんの流れの薬屋さんで病院にも薬を卸している会社の、恰幅の良い社長でした。乗っている車はトヨタのマークⅡで、長距離対応のため節約のためにディーゼル車を選んだんだとのことでした。

 富山の置き薬屋さんは、薬を先に各家庭において、使ったら払うという形を取ります。江戸時代からの先進的なビジネスモデル。先においてもらうことで、家系の病気を見抜けるのです。血管障害系のトラブルが多いとか、胃腸系のトラブルが多いかとかですね。ちなみに私自身は、両親の悪いところ(血管障害系も胃腸系も)を両方引き受けていると言われました。

 この先生の会社は、ほかの新参の軽自動車で各家庭を回るような置き薬屋さんとは差を図りたい、かつ燃費のためのディーゼルが良いと、トヨタのマークⅡに乗っていました(ほかの社員さんにも同じようにさせていたようです)。

 お灸の先生は、自分が回って出会うお客さんたちが、薬ではどうにもならない治らない事がある事に気が付いて鍼灸を学びました。さらに先生は「気」が扱えるので骨も整え、お灸をしていました。昔ながらのもぐさに火をつけるタイプです。

もう答えの出ない病院は嫌だ。跡は残って良い

 小さい時から時々、片目だからか、頭痛が起こることがあり、時々脳波を図っていました。当時の脳波を測る機械は、針を直に指すタイプで、あんまり芳しくない訳ですね。とても悲しい気分になります。

 そして、どこまで調べても、自律神経失調症でまとめられる私の症状に子供心に嫌気が指していたのと、このままでは先がないと自分でも確信していました。精神科の扉を叩いたのもこの時期で、とにかく、体の力を抜くようなワークを教えてもらっていましたが、全般的に医療には不信感を持っていました。

「跡が残るけど、どうする?」
母は、傷付けるのを気遣っている様子でした。

……私の体に関する、きちんとした答えは“病院”にはないんだろう……

「跡は残って良いから、やる」
 すべすべの肌を捨てても、自由に動く身体が欲しかったのです。

 お灸の先生によると、時計が落ちた衝撃で頚椎を痛めて、背は伸びたけど、内臓の成長が止まっていたようなのです。食事が終わった30分後に来る激痛は十二指腸潰瘍とのことでした。お灸の先生が回って診てらっしゃる、じいちゃんばあちゃんを含めて、「お客さんの中で一番悪い」と言われていました。

お灸の治療は心臓から、心臓のツボは両手首

「内臓を全部治療しないといけない。まず最初に、中心の心臓からやるよ」
と、言われました。
「わかりました」と私はうなずきました。
 治療は心臓から、ツボの位置は両手首からスタートしました。一回ツボに5回小さなもぐさに火を付けます。悪いところは毎度膿みます。そして、毎回叫ぶほど、全身に痛みが響きます。不思議なことに、先生の灸は私にはピッタリで、恐るべき効果があったのです。止まっていた生理も復活してきます。

 今の私の知識でしたら、こうした事故系も痛くない方法も取れたのですが。当時は先生しか信じるものがない。ただ楽になるのを信じていました。そこから100ヵ所以上、20年にわたって全身に灸を打ち込みます。

2011年5月 実家の庭にて

笑っていれば、誰でもだませる

 私が、頭に時計が降って起こったグレーゾーンの障害は、見た感じ健常者と変わらないので、「笑っていれば、誰でもだませる」と思っていました。

 辛くて痛いのは誰も分かりません。特に中学校の先生の8割は、バカだと思っていました。悪いことに、私が通っていた中学は市内でも「軍隊」とあだ名される学校で、統率が取れてないとか悪いことした時は、体育教官が竹刀を持っててガチでしばかれました(笑)。どこかの漫画みたいでした。

 通っている子供たちは、それが当たり前で、それが愛情の中でやっているのかとか、自分たちが悪い事をしたのかそうでないのか、というのは分かっていました。結構、私には面白かったんです、集団行動とか。半分は面白がってやってたところがあります。

 当然、周りの私に対する定番ジャッジは「怠けているのか」(笑)。

 時計が落ちてきたときのクラス担任は、英語の女性の先生で、「いつも着てる物が違う」と生徒の間で話題にあがる、おしゃれなメガネの先生でした。2年生に上がって、なんとか毎日、登校できるようになったころ、声をかけてくれました。
「具合が悪いのは、あの時からね。気になっていたの」
 私はうなずきました。
「悪かったと思っているの。ごめんなさい。今は大丈夫なの?」
 1年の時は陸上部にいたけど、練習についていかなくて、部員が一人しかいない美術部に転部していました。転部先の美術部は、当初、特に活動もなかったので、放課後は図書館にいることが多くて、図録や本を読んでいました。
「……だいぶ……」
 担任の先生は、事の重要性に気が付いてらっしゃらなかったんだな、と思いもしました。本当は、それからが本番だったけど。こうなったら仕方ないじゃないですか。

「藤田、話を聞いた。あんなに言ってすまなかった。お前も大変だな」
 「怠けているのか」と言った先生が、一言そのあと言ってくれました。一年生の時の担任が、根回しをしてくててたみたいです。「俺もいろいろある」と、付け加えて一言。大人になると、その「いろいろある」という言葉の意味も良くわかります(笑)。

 その後、1年生の担任だった英語の先生は、転任して他校に行かれます。
「藤田さん。私は行ってしまうけど、頑張って」
 私はうなずきました。

 現在、多くの精神的な問題を抱え持った人が、こぞって、「生きづらいでしょう」「許しなさい」というような、啓発を受けたりします。多くは、次が抜けてる気がしですよね。じゃ、この現実をまっさらにして、どう具体的に解決していけばいいんだ、と(そして、解決しなくてもいいのかも含め)。