思えば遠くに来たものだ
中国新聞防長(山口県版)の挿絵の仕事は20代半ばからスタートしました。かれこれ、17年か18年くらい。
なんだか細々ずーっと続いている仕事の一つで、当時は地元の山口県に住んでおりましたけど、現在の住まいは東京なんですが…続いており、ありがたいことです。そんな中、最長を記録を続けているのは、ふるさとのわらべ唄で2007年から2019年5月現在、連載は460回を超えています。
山口県下で1000曲の「わらべ唄」
この連載は、もと小学校校長先生が研究で地域のわらべ唄(遊びの唄から仕事唄、祭りの唄まで)を集めて1000曲収録したものを研究報告書として本にしたのがはじまり。山口県の一つの県としてもそれだけなので、全国ならもっと多いと思います。
連載のアーカイブがまったく公式で残っていないので、ブログで、記録として残すことにしました。
ちなみに、山口県をよくご存じない方に、山口県は下図の位置です。
ふるさとのわらべ唄 戎谷和修 <1>ホタル 中国新聞「防長路」2007年7月1日
田んぼを見回る人がいる。オタマジャクシが泳ぐ。ホトトギスが鳴く。ツバメが飛ぶ―。県内のどこでも見られる風景である。三十五年間、郷土に伝わるさまざまな唄(うた)や、まつわる話をたくさんの方から伺ってきた。このうちから、それぞれの地域で長く親しまれてきた「わらべ唄」を取り上げ、風景や生活、文化にかかわって書きつづる。滅びゆくふるさとの伝承歌が歌い継がれていく契機になれば、との願いを込めて。
昔、ホタルを見ると「ほうほうホタル来い」と自然に口ずさんでいた。なぜか、捕ったホタルを蚊帳の中に入れていた記憶もある。今と違って、ホタルは生活の一部であったのだ。
このホタルの唄。田布施町では「ほうほうホタル来い でんでん来い あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ みの着て笠(かさ)着て踊って来い 柳の下から踊って来い ほうほうホタル来い」と歌っていた。「みの着て笠着て踊って来い…」。情景とチャーミングな節がマッチしたすてきな唄である。
一方、山口市ではこう歌われていた。「ほうほうホタル来い あっちの水は苦いよ こっちの水は甘いよ 紅猪口(べにちょこ)もて来い かえちゃろう」。教えてくれた人によると「紅猪口はね、女の人が口紅をつけるときに使った小さい焼き物の容器です。『紅猪口もて来い』はホタルにふさわしい、と思いますね」との話。昔、女性は紅猪口に口紅を入れて筆で塗っていた。かわいく、あでやかで情緒がある。
このほかに、「阿弥陀の光で傘着て来い」という唄も歌われていた。
【楽譜】
ほうほうホタル来い
でんでん来い
あっちの水は苦いぞ
こっちの水は甘いぞ
みの着て笠着て踊って来い
柳の下から踊って来い
ほうほうホタル来い
(田布施町)
ほうほうホタル来い
あっちの水は苦いよ
こっちの水は甘いよ
紅猪口もて来い
かえちゃろう
(山口市)
[記事:中国新聞社提供 掲載日付:2007年7月1日]
(各市町の位置は下記です)
作者紹介:
えびすたに・かずのぶ 1947年、周防大島町生まれ。エリザベト音楽大(広島市)を卒業後、60年、新南陽市(現周南市)立富田中を振り出しに、県内の小中学校で音楽教諭として勤務し、2006年から周防大島町立三蒲小校長。(2019年現在は退任)07年3月、県内各地に伝承されているわらべ歌1000曲の歌詞や楽譜を収録した「うたいつぎたい ふるさとのうた~山口県のわらべ唄~」を刊行した。
ふじた・はるえ(現・藤田晴子) 1974年、光市生まれ。山口芸術短期大を卒業後、会社勤務を経て99年からフリーのイラストレーターとして活躍。本名藤田晴江。連載のイラストについて「土くさい、というよりは土のぬくもりを感じるように。人間くさい、というよりは人のぬくもりを感じるように。わらべ唄の世界をきちんと理解して、素直にお伝えできれば」と話している。
新聞挿絵の制作スタイルは……
私の新聞挿絵の制作スタイルは、訂正前の原稿が来て後はお任せなんです。このホタルの原稿が来たときには、小学生の時にやっていたアカペラの合唱を思い出しました。
その時のホタルの唄は広島県から収集されたもので、節回しも歌詞が若干違うんですね。その土地土地の地域ルールが存在するんだなぁ、としみじみ思った次第です。